母親が歪んで見える時の事

母親の愚痴を聞き、祖母の愚痴を聞く。
その中で追い詰められた父が、不機嫌になる。

子供の頃、そんな大人達の為に、ひたすら聞き役になった。理解力の高い子供、大人に必要とされる娘であれば、喧嘩や愚痴がない家庭になるかと思ったようだ。

田舎に於いては、長男は跡取りとして大事にされる。そんな家庭内の格差も、母の歪んだ愛情やら価値観も、子供時代には解らなかったこと。

親元を離れる頃には、祖母は愚痴をこぼさなくなった。老いて思う事があったのだろう。

父は私に対しては、声を荒げる事もなく、穏やかに会話していた。自分の価値観で向かい合った祖母や父は、母が言う人物像とは違って見えてきた。

そんな2人はもう彼岸に行ったので、新しい思い出も会話もない。

唯一話せる母とは、今もうまく会話できない。

父の悪口が今だに出てくる。故人の事を悪く言うのは、伴侶ならいいのか?両親の関係がどうであれ、母の思い通りにならない事の捌け口になるのは、もう私、無理だよと思う。

子供は親の分身でも、最高の理解者であるとも限らない。

どんなに嫌な事があっても、母と母に纏わる者を悪く言ったりしない。それは祖母や父と同じ様に、あなたの子供達がしている事。
それが、あなたの嫌う、私の氏姓の性質なのだろう。
母曰く、母の家系は優秀で立派。そりゃそりゃ良かった。私も半分は身内だし。だけどもう半分は、蔑まれていると、怒るのだ。

聞かせるべき相手が違う事に、母は気づかない。聞かなければ泣く。相手に罪悪感を持たせる才能があるわ、この人…などと思ってしまう。

母には元気で長生きして欲しい。それは本当に思う。だけど、誰かを落として、可哀想な人に自らならないで。
歪んだ愛情に歪められないように。


日々の幸せに気付いて生きて、私の人生を終えたい。そんな事を曖昧ながら思った。

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mion
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