86歳の腹筋 まだ、笑わせて。
眠れないので、開き直って振り返る。
父と私は、今日一日、一緒に過ごした。
頑丈な父には珍しく、風邪症状が続き
ようやく病院にいくことに。
病院に行こう、
私はここ数日繰り返し言った。
離れて住む姉も、繰り返し言った。
いつもならば父は
しつこいな!と癇癪を起こすところ、
今朝ははかばかしい返事がない。
偉そうにとイラつきながらも、
体調の悪さが優っているよう。
(今だ!かかれ!)
どうにか、一応自主的に、車に乗って貰った。
父は、やはりマスクはしていない。
病院に入れて貰えませんよ、と言っても、
そうなの?混んでるのか?
他人事。
車にあった、私の薄いピンクのマスクを強制した。
発熱外来の受付は、病院の裏手だった。
こんな河岸にあるのか
父は呟く。
裏手に遊歩道はあるが、水場はない。
ついに来た、見当識障害。
年齢的には相応か、高熱でせん妄状態になっているのか。
言い方も、縁起でもない。
彼の岸、向こう岸、みたいで。
そう思っていると、
父は、ここは昔小川があったらしい、と解説する。
看板にもそのような文があった。
父の散歩コース、娘の生まれた頃はまだジョギングコースだったもの。
勘違い、失礼しましたよ。
寒空の下、外に置かれた椅子で検査は始まり
ようやく呼ばれて診察、
中には若い男性医師がいた(と私は思った。)
終わると待合室で、父は私に言う。
あれは…女医さんだよね?
女医とは、古式ゆかしいボキャブラリー。
笑う私を、父は訝しげに見る。
だって、女医だろ。
そうだね、人は見た目では分からない。
私はジョイ、に笑ったのだけどね。
念の為に、と科が変わり、検査は続いた。
CTでは、更衣室に入る前に
”シャツ一枚になってください”と指示を受ける。
うんうんとうなずき更衣室に入り、父は聞いている。
えーと、真っ裸になればいいのかな!?(大真面目)
技師は淡々と言う。
いえ、シャツ一枚です。
私はまた吹き出した。
家族LINEに既読が増えた、母だ。
昨日入院し、今同じ病院にいる。
良かった、なんとかLINEはできるらしい。
検査中、
お父さまも入院になるかも、と私に伝えに来たナースは
少し笑って言う。
“さっきの先生は、メンズです。”
ここのベテランらしきナース達は気持ち良い人が多く、救われた。
父も、彼女はいいねえと言った。
余計なお喋りなどはなくても、
落ち着いた頼り甲斐ある態度は、
弱っている側にはとても嬉しいものだ。
“あの女医さん”は、
途中から俺ではなくすっかり君の方を見て話をしていたからね。
要は俺みたいな爺さんじゃ話にならないってことだろ。
でもナースの彼女は違った。
父は言った。
父は、待機中、最初は散歩したりもしたが、
次第に座ったまま、幾度も辛そうに手を組み項垂れた。
若くても、高熱があれば椅子で待つことさえ辛いはず。
ましてや父は90近い。
ずっと身体を鍛えて来たとは言え。
散歩などしていたから油断した。
横にならせて貰いたいと、私はナースに頼んだ。
二度目の採血。
針を刺されるのも苦手だったはず。
なんだ、何回血を取るんだ…
人の血をどうしようって言うんだろうな
ナースが確認する。
すみません、お名前をもう一度お願いします。
これは、答えられない人もいるってことかな?
緊急事態で逆上しちゃったら、
答えられないかもしれないね
逆上って。
それを言うなら、動転か。
もし病院で逆上したら、カスタマーハラスメントになるのかな?
別名があったかも。
この後、父はようやく横になることが出来た。
病院に着いて、4時間は経っていた。
体格が良いので、簡易的なベッドはとても狭い。
足は、両くるぶし辺りから下が、ベッドからはみ出ている。
じっと目を閉じている。
いきなりガバっと、直角に父は起きた。
みおさん、ティッシュあるかね!?
寝台がやけに狭いな。
ケチだね、この病院は。
父は鼻を噛み、大きな声で言い放ち、また横になった。
今、直角に起きたよね。
昔、レガッタに勧誘されてしばらくやっていたらしい。
父は途中でやめたことで、殆ど語らないけれど。
どれだけ鍛えてるんだ。