87歳の夜中のドライブと、無敵について
90近い母と、久しぶりのドライブ。
行きたい、見たい(見せたい)ところは色々あれど。
娘の飛行機の時間に合わせると、出発は夜になってしまった。
結局、母は、夜道を助手席に乗っていただけ。
コーヒーの一杯もご馳走できず、申し訳ないくらい。
いいのよ、一人だと心細いでしょう、と。
道中、片方の窓ガラスの外は真っ暗な森のシルエットが続く。
最近のトラブルについて、母に話した。
黙って聞いていた母は
あの人は、娘が可愛くないのかしらね、
そう言った。
自分が娘を苦しめていることがわからないのかしら、
と。
決して口数の多くない母から、
数年間、もう何十回、その台詞を聞いたかと思う。
人の背景、娘の心情を推し量れないから、
主語はいつも“自分”“心配”だから、
娘の父親は、こういう事を繰り返すのだろう。
あの人の家族親戚は、いったい彼の行動を知っているのかしら、
向こうのお母様、本当にお気の毒にね、とも、母は言った。
何も知らないのじゃないかなあ、離れているし。
少なくとも、相手は誰にも諌められない状態だと思う、と私。
つい最近、別の場所でも聞かれ、同じように答えた。
娘の父を、監督する人はいないのか
と。
彼が法的トラブルを数多起こして来た事を、
知っている人は多い。
今回、対処にあたり精神的に参ってしまった人もいる。
ここに向けて努力してきた中学生の子達の、
年に一番大事なシーズンに。
しかも皆が子どもの為のボランティアの集まり。
そこに、何ら労力は払わず、
苦情、要求は飲めと繰り返し迫るとは。
しかも、要求は今回だけに止まらないだろう。
気の毒だけど、そういったお子さんはお引き取り願いたいというのが本音。
そう考える人間もいる、と私は言われたのだ。
母も言った。
たえちゃんに辞めてくれってことよね。
口数少ないだけに、堪える。
その通り、娘がいなくなれば、
娘の父親は自ずとこの集団には接触しなくなり、
トラブルは収まる。
私は、大変な労力を掛けて離婚した。
相手が最高裁まで争った末
親権者は私となった。
夫婦であった時
かろうじて数回のみ、相手が通った場所があった。
同じ心理士の方に、私も別途カウンセリングを受けた。
相手のしていることは、幼い娘さんの羽を折ってしまうことだと
先生は言った。
それを伝えると、相手はカウンセリングも受診も投げ出した。
その娘が大事にして来た居場所に
相手は土足で踏み込んで来る。
私達はいとも簡単に居場所を危うくされる。
これが法で強制されようとまでしている。
また、同じことをされている。
私は娘をどうやって守ればいいのだろう……
真っ暗な気持ち。
相手について
無敵
いう言葉がもっともしっくり来ると思う。
しかし、安易に使っていい言葉ではないと思ってもいる。
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