光る君へ、と中学生
雨の中、個人面談へ。
終わりに担任の先生が“妙子さんは光る君へ、を見てるんですね、中学入ったくらいの子にわかるかなあ”。
周りには語り合う仲間がいないので、先生に話したらしい。
確かに、毎回、見終わると妙子から求められる解説に忙しい。
私はTwitterを見て振り返る時間が減ってしまった。
結婚して、ややしばらく後のまひろ
少女らしさは消えて能面のようになる、無言の場面に驚く。
画面も、ひたひたと暗くなる。
暗転が、お能の道成寺のよう。
高校時代の友達のことを思い出す。
彼女と同じように、穏やかで暖かで人の為に働く旦那さんと結婚。
何年も経ってから、旦那さんと喧嘩なんかしないでしょ、と私が軽く言った時、彼女が
“息ができないくらい、煮えくりかえる時がある”と、ぼそっと言ったのだ。
今はわかる。
見えなかったことが見えて来る。
相手もまた然りなのだろうけど。
乳母の“いと”がまひろを諭す場面では、
私は本気でいとが疎ましかった。
言っていることは十二分に、わかる。
でも、自分を曲げてまで夫に寄り添うことは出来なかった、と自らを振り返る。
光る君へ、は衣装もとても楽しい。
昨日の、清少納言の羽織っていた上衣、唐衣表着(と言うのだろうか)の色は、中宮の袖から覗く単と合わせたのかなあ。
何という贅沢さ、毎回見惚れる。
美しさが、定子様の行先の暗さを際立たせているようだ。
こんなのが“わかる”中学生は、あまりいないのじゃないかしら。
遡って、
小学生に入って直ぐにハリーポッターに夢中になった時、妙子の呪文話に付き合ってくれる仲間はいなかった。
本の台詞を丸暗記していたっけ。
最近、元としまえん、ハリーポッターワールドに行って来た同級生も、妙子のオタクワールドにはついていけないらしい。
妙子は妙子の楽しみ方があるようだ。
親子で話題を共有できる楽しさがあって、
いずれにも、人の暖かさ、僻みや妬み、冷たさや無関心、残酷さがある。
まだまだ幼い子どもの心が傷つくことはないか。
いや、現実の、家族のグロテスクさに比べたら、
さもないことなのかもしれない。