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「大丈夫。そのうちわかる。」―自分が学ぶ側に回って、教える、育てるのが楽になった話。
最初に私の通訳経験から...
会議通訳って一人だけじゃなくて、二人とか三人で組むことが多いんですね。なにせ長い間集中できないので、同時通訳だと15分くらいで交代しながらやるっていうのはデフォルトです。そうするとまぁチームワークなわけですが、特に駆け出しのころ、感じたのは、組む先輩方によって仕事のつらさが違うこと。
こちらは、まだまだ修行中。どうしても先輩方から見ると足らないところが多い。そのときに、なんとなく信頼してくれるタイプの人と、あー心配で見てられないよーというスタンスの人。今から振り返ると、心配でみてられないよーはとっても真実だったと思うのですが、それでも、信頼してくれるタイプの人もいたわけです。
さて、心配されると、どうなるか。
できるものもできなくなります。
もう如実に。
集中できない💦
日本語と英語ってかなり離れた言語だから、その分、通訳がある程度、柔軟に表現を考えないといけないのですが、そこががんじがらめになってしまうと脳が、、、脳が固まります。
で、あ、ここはこう訳さないと先輩からメモが飛んでくるなとか。
もう誰に通訳しているのか分からない。(笑)
だから、信頼するって大事だなと思っていました。
でも、こうやって中学生に英語を教えるようになって、ハタと、私は彼らを信頼してたか?と考えることがあったんです。
それは、自分が習い事をしていた時に、間違いばかり起こしているのに、ぜんぜんへこたれていない自分に気がついたから。
なんで、へこたれないの?
答は、大丈夫って知ってるから。
間違いを見逃さない(=指摘される)限り、わかっちゃいるけど間違えるっていうのを繰り返して、いつかできていくもんだよね、って自分のことだからなんとなく分かってる。
それで、あーまた間違えちゃった~(笑)とかやっているときに、
え?
ワタシ、あの子たちが間違った時、そんな風に思ってたっけ?
と気がついたんです。
大丈夫なんだよ!あの子たちも。分かってないわけじゃない。わかっていても、まだできないだけ。わかってなくても、何回も練習すれば、わかっていくもんなんだー。
目の前の世界がぱーっと明るくなって...
もうウォーター!と叫んだヘレンケラー(を演じる北島マヤ)でした。
そして昨日。授業をしました。
全然こちらの気持ちが違いました。
「うんうん。あ、そこ違うよ。」と平常心で言える。
そこに「あぁ、まただ。なぜわからないのだろう」とか「どこまで戻ればよいのだろう」という焦りはありません。
私の役目は間違いを指摘するだけ。ものすごく基礎のことで間違えても、平常心で同じことを指摘するだけ。
こちらの心理状態が全く違う。
「大丈夫。そのうちできる。」っていう感覚。
そのうちできることを知ってる。
今までだってピグマリオン効果について読んだことはあったし、この子たちを信頼するんだ、と頭では思ったりしていたけど、
やっぱり、習う側に回るという実体験が私には最強でした。
そういえば、その、ピグマリオン効果。色々、論争があるようだけれど、通訳の経験からも、こっちがおおらかな気持ちでいると、子どもは楽なのは絶対だと思う。そもそも人間は信頼されてると相手に好感を持つ。(ごめんなさい。心配させてしまった先輩方...。)
最後にもひとつ。
これって、子育て全般にも通じることですよね。
信頼したうえで、指摘する。
指摘するけど、そのうち、できるようになるって知っている。
思い出した。思春期、親に信頼されてないって感じた時のあの腹立たしさ。
すべて通じているーー。
だから言いたい。
人間はすぐに忘れるから、教える側も学びつづけてるのが、やっぱり最高。
そして、今、何か勉強中の人にもエールを。
大丈夫。そのうちわかる!
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