正解が知りたい日本人
サービスデザインに取り組むことも、ワークショップの場でもとにかくみんな「正解が知りたい」と思ってしまう。
「デザイン」することに正解はないし、「正解」があるのならワークショップで共創する必要もない。
でもつい正解を探してしまうのは、日本の教育がいつでも「問い」に対して「正解」が用意され、どれだけ「正解」が答えられるかで評価されていたからだと思う。小学生を見ていると正しいことをして先生や大人によく見られたいという子供が一定数いると感じる。(実際私もそうだった)
その根本としては、良く見られたい、褒められたいという欲求があると考えられるが、間違えることに慣れていないのかも知れない。確かに間違えたら恥ずかしいと思うし、できれば正解したいという気持ちもよく分かる。
人間の本質的な欲求とも捉えられるので、はたして「日本人」と括ってしまってもいいものかと思うが、間違っていたとしてもとにかく発言するアメリカ人を見ているとそう感じてしまう。
実際サービスデザインのプロセスでも「親和図法」や「上位下位関係分析」など様々な手法があるがそれはとても難しく、話を聞いただけでは理解するのは困難だ。「分類したらダメですよ~、発想法なんですよ~」と言っても実際やってみると慣れ親しんだ分類になってしまう。それが当たり前だ。だって難しいから。
わかってから取り組もうとするから難しいのであって、とにかく「やってみる」。やってみてダメだったら「壊してみる」。プロのやり方を「見てみる」。
小さい子供は大人の真似をしてみて覚えるけど、それでいいんですね。
ワークショップでは「正解はない」「とにかくやってみる」というマインドを醸成することが成功の第一歩で、そんな場をデザインしていく重要性を強く感じました。
ホワジャオ・ミオ