小指だけつないで(3/4)
坂を上りきったところで、実那が足を止めた。
疲れたので一休み、というところか。
おれもそこで足を休め、立ち止まったままの実那の小さな傘の下を、こっそり上から覗き込んだ。
実那は左側に顔を向けて、何かを熱心に見ている。
植込みの切れ目から、坂の下に広がる街の灯が見えた。
「へえ、いい眺めだな」
思わずそう感想を漏らしてしまうほど、高台から望むその景色は、なかなかのものだった。
昼から夜に切り替わるこの時間のあいまいな空の明るさと、道路沿いの街灯やそれぞれの家の灯りが溶け合う街を雨が濡らす。
実那の生活をなるべく変えないよう、綾子と実那が元々住んでいた1Kのアパートにおれが引っ越してきたわけだが(狭いのでスーツと生活に必要なものを少し持ち込んだだけだ)、三ヶ月にもなるのにこの場所の景色を眺めることもしていなかった。
立ち止まって周りを見るくらいの余裕がなきゃ、ダメだよな。
余裕のない大人が、子どもに慣れてもらおう、というのも無茶な話だ。
肩の力がすうっと抜けた気がした。
その時、下り坂にも関わらず、かなりのスピードで軽トラックがやってくるのが、視界に飛び込んできた。
本能的に右手を伸ばして実那の背中に回して引き寄せた。
低くうなり、飛沫を飛ばしながら、背後をトラックが通り過ぎていく。
雨の中無茶な走り方をするヤツもいるもんだ。
その時、左手に何かが触れたのを感じて見下ろした。
柔らかで小さな手が、おれの小指を握っていた。
傘を担いだ実那がおれを見上げた。
笑いはしなかったが、いつものように激しく拒絶することもなかった。
そして、小指を握ったまま、再び黙って家に向かって坂を上りはじめた。
おれは手を引かれるままにあわてて並んで歩き出す。