「再開館記念『不在』―トゥールーズ=ロートレックとソフィ・カル」の感想
自分の言葉で書くのがはずかしいので
200歳のおばあちゃんの言葉に変換してお届けします
はじめに
三菱一号館美術館で開催されている「再開館記念『不在』―トゥールーズ=ロートレックとソフィ・カル」にいってきたんじゃ。
200年も生きていると、「不在」というものには慣れっこになるもんじゃ。時代の流れで消えゆくもの、人間関係の薄れ、物語の中の空白…。今回の「不在展」は、そんなわしの心にぴったり寄り添ってくれるような展示じゃった。
ロートレックとソフィ・カル、時代も手法も異なる二人が「不在」というテーマで交わるなんて、これまた粋な趣向。今回は、そんな展示をわしなりに振り返ってみようと思う。
1. ロートレックが描いた「色の不在」
ロートレックといったら、グラフィックデザインのお勉強のなかで必ず出てくる存在。そしてロートレックの作品といえば、華やかなパリの夜を思い出すじゃろう。ポスターにあふれる鮮やかな色彩、そして躍動感ある人物たち。それが彼の魅力じゃが、今回の展示ではモノクロのリトグラフが特に心に残った。
色のない線が語るもの
色を取り去ったことで、彼の描く線や陰影がより一層強調されとった。背景が削ぎ落とされ、人物の存在感だけが際立つ。ロートレックの「線」に注目したのは初めてかもしれないのじゃ。
200歳のわしじゃけどロートレックには会えんかった。けど、北斎から影響を受けとったっちゅう話を聞くと、なんだか嬉しいのう。大胆な構図や線の美しさに、日本の浮世絵の魂が生きとるんじゃと思うと誇らしいわい。
2. ソフィ・カルと「物語の不在」
次にわしを引き込んだのは、ソフィ・カルの作品じゃ。『なぜなら』(原題:Parce que)という作品がたまらんかった。
布をめくるという体験
この作品は、額装された写真の前面にテキストが刺繍された布が垂らされており、その布をめくると隠されていた写真が現れる仕掛けになっている。言葉と内側の写真の関係性を考えながら鑑賞するというのが面白かった。ただしこれは全部のクオリティが最強だったらから。だとおもうのじゃ。
二人の間には直接のつながりはないので、本展は同じ「不在」というテーマでゆるやかにつなげた2本立ての展示となっています。ただ、その展示のつなぎ目の部分は工夫を凝らしています。
とのこと。この2名の組み合わせにわしは最後まで納得感は持てなかった。
おわりに
二人の作品に触れることで、わしは「不在」というテーマは面白いとおもったよ。200年も生きておるが、まだまだ新しい発見ができるもんじゃな。