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朝ドラ『らんまん』も始まることだし、牧野富太郎博士に会いに行く


4月から放映されるNHK連続テレビ小説『らんまん』楽しみですね。



この『らんまん』の主人公である槙野万太郎のモデルは牧野富太郎博士という実在の人物です。


牧野富太郎 博士
(引用:いらすとすてーしょん


【牧野富太郎博士とは】

人呼んで「日本の植物学の父」。生涯に採集した草花標本は40万点以上、新種や新品種など約1500種類以上の植物を命名しました(e.g. ヤマトグサ、スエコザサ、オオイヌノフグリ)。日本を代表する植物分類学の大家です。

自らを「草木の精」と呼ぶほど植物にかける情愛は深く、「雑草という名の草はない」という言葉を残しています。この言葉は昭和天皇が引用したことでも有名になりました。


こないだ彼の出生地である高知県に赴く機会があったので、せっかく高知まで行くならと牧野博士の軌跡をたどってきました!

今回は彼の出生地の魅力にも触れながら、牧野博士ゆかりの地をご紹介させていただきます。はじまりはじまり。




いざ、牧野富太郎博士をめぐる旅へ

1.佐川駅


牧野博士の生まれは土佐国佐川村、現在でいうと高知県高岡郡佐川町です。

旅の起点はこの佐川駅。高知駅から汽車で1時間弱のところにあります。土佐の山間部を抜けたところにある小さな駅です。

高知駅~佐川駅の汽車は1時間に1本あるかないかのレベルなので、公共交通機関を利用される際はしっかり時刻表を確認しておきましょう。

あ、もちろんSuicaも使えません。というか自動改札機のある駅がほとんどありません。現金を持っていきましょう。


【余談】
高知にはJRと路面電車(とさでん)の2つの鉄道が走っていますが、JRの路線を走るのはディーゼルエンジンで動く「気動車」です。なので高知ではJRを使うときは「汽車」に乗る、路面電車を使うときは「電車」に乗るという表現がよく使われます。


これは余談なんですが、佐川にきたときに最初に抱いた感想は「空って広いんだな」でした。

首都圏に住んでいたせいでこの当たり前のことを忘れていました。取り戻さねば、自然への感覚を。



こちらは佐川駅舎にあった展示スペースです。こちらは観光案内も兼ねています。

駅自体は小さいのですが、随所に『らんまん』のPRがされていました。町おこしに力を入れているようですね。

朝ドラで牧野富太郎を取り上げようという誘致活動は2019年にはすでに行われていたとのことなので、今回は町の努力が4年越しに実を決したということでしょう。



佐川のまちなみは落ち着きながらも整っており、都内の派手な観光地とは異なる『静』のたたずまいに癒やされます。

若いときはアクティビティや体験といった『動』の観光に心が動かされたもんですが、歳を重ねてくるとこういった『静』の観光のほうが心地よくなってくるんですよね。いやほんと、私ももう白湯やお茶漬けを美味しく感じる年頃です。



町の鳥瞰図もみごとな『静』のたたずまいです。無駄なものがない。てか『静』すぎる。





2.司牡丹酒造


牧野博士は、この佐川駅近くにあった「岸屋」と呼ばれる酒造で生まれ育ちました。

高知は至る所でその清流を活かした酒造りが盛んで、この佐川の地にも大きな酒造や酒蔵が残っています。



こちらの目を引く特徴的な白壁は司牡丹酒造。佐川を代表する名所で、今も実際に酒造りが行われています。

牧野博士の生家の酒蔵はこの司牡丹が譲りうけており、牧野富太郎のルーツと根深い縁のある酒造です。

ただ残念ながら譲られた建物は平成の台風で倒壊してしまいましたので、今はその姿を見ることはできません。



こちらは司牡丹の杉玉で、願掛けのためのものだそう。

高知ではこの司牡丹の日本酒を見かける機会も多いので、居酒屋に入った際はぜひお試しください。


なお余談ですが、私が好きなのは『自由は土佐の山間より』というお酒。

超辛口なのでこれがまたさっぱりと塩気のあるつまみとの相性が良く、アテが進む進む。



『自由は土佐の山間より』だなんて、変わった名前だなと思われたかもしれませんが、これは高知県詞の『自由は土佐の山間より出づ』という言葉からつけられています。

というのも、憲法制定や国会の開設といった自由民権運動が特に高知(当時の土佐)で盛んに行われていました。その中心人物だった板垣退助も高知出身です。

どうでしょう?歴史的経緯をも酒の肴にぜひ一杯いってみては。





3.牧野富太郎ふるさと館


ここは牧野富太郎ふるさと館。牧野博士にまつわる資料が展示されている施設です。駅から10分ほど歩いたすこし奥まったところにあります。ちなみに入場無料。

ワンフロアしかないかなり小さな施設で、だいたい15分あれば巡れます。むしろ飽き性な私にとってはこれくらいがちょうどいい。



牧野博士と関係のある場所の地図です。佐川町にあるゆかりの地がいくつか紹介されているので、これをもとに観光してみるのも良いですね。



ふるさと館がなぜこの立地かというと、実はここ、牧野博士の生家跡地なんですよね。

展示の1つがこの生家の模型。当時の暮らしぶりをうかがい知ることができます。立派なお屋敷だなあ。





ちょっと休憩:旧浜口家


この牧野富太郎ふるさと館の近くにあるのが、旧浜口家住宅です。

ここは酒造業を昔から営んでいた名家の邸宅でした。江戸時代から続く建物であり牧野博士との繋がりは直接ありませんが、佐川のおみやげ施設として観光スポットとなっています。



中には牧野博士にまつわるおみやげがズラリ。中には座って休めるスペースもあるので、休憩がてらに佐川みやげを探してみてはいかがでしょうか?



佐川を流れる仁淀川のグッズも多くみられました。仁淀川は『奇跡の清流』と呼ばれるほど高い透明度を誇り、仁淀ブルーと呼ばれ親しまれています。

今回は残念ながら仁淀川に立ち寄る時間がなかったのですが、次に来訪したときはぜひ訪れたいものです。



こちらは佐川のローカル牛乳、吉本牛乳です。高知では「さかわの地乳(ぢちち)」として知られています。『ぢちち』って響き、ガスコンロつけるときの音みたいで良いですね。



味が気になったので『地乳あいすもなか』を買ってみました。冬だけど。



意外とさっぱりした味わい。牛乳のしっかりとした味はしつつも、変に足された甘さがありません。もなかアイスを食べているのに、直接ごくごくと牛乳を飲んでいるようでした。





4.名教館


佐川は学問が盛んな土地だったようで、牧野博士は10歳から寺子屋で勉学に励みました。その翌年に通ったのがこの名教館(めいこうかん)という家塾です。

当時通っていたのはおさむらいの家系(士族)がほとんどで、町人は2名だけだったそうです。まさに牧野博士はそのうちの一人でした。

彼は町人という身分ではあったものの『世の中が開けてきたからには、これからは町民も学問をしなければ』という意思で入塾したそうです。主人公じゃん。

そんな名教館では地理・天文・物理など、当時では日進月歩に発展していた先進的な学問が教えられていました。

ちなみにさらに翌年には学制の発布によって名教館は佐川小学校となり、牧野博士も進学します。しかし、2年という短さで退学してしまったそうです。

その理由は明確ではありませんが、一説によると『授業の内容がすでに知ってることばかりで満足できなかったから』。漫画の主人公みたいなセリフですね。





5.佐川小学校


観光地・・・ではないのですが、くだんの佐川小学校にも寄ってきました。

当時の牧野博士は小学校を中退後、声がかかって佐川小学校の臨時教員になります。当時15歳です。

さらに彼はその2年後にはその教員をも辞め、学問のために高知市に出ます。なんというスピード感。

最終的には植物分類学者として東京帝国大学で講師を務めるに至るほどに学業を納めています。向学心の権化。



ちなみにこの佐川小学校、校庭にはゆかりのある牧野博士の銅像が設置されています。

しかしここは今でも児童の通う単なる小学校。けして勝手に入らず、節度を保ってお静かに。





6.金峰神社


牧野博士は酒屋の産まれであるものの、幼少期は家業さておき植物採集に没頭していました。

この金峯神社(きんぷじんじゃ)も彼が採集の場として通ったとされています。

生家の近くにある小さな神社で、すこし階段が長くて上るのが大変ですが、山中にあり植物が数多く群生しており、自然豊かな場所です。

博士もきっとここで植物との対話に明け暮れたのでしょう。





番外編:高知県立牧野植物園


ここでちょっと番外編。牧野博士の名前が冠された植物園である、牧野植物園ご紹介します。

場所は佐川町ではなく、高知市にあります。高知駅から公共交通機関で30分ほどの距離にある広大な植物園です。



ここではマジで一生分の草花を見ることができます。ざっとでも1~2時間、じっくりなら半日は滞在できます。



植物にまつわる標本や牧野博士の来歴の展示もあり、単なる植物園ではなく科学館や博物館としての一面も楽しめます。高知観光の際には立ち寄るのがオススメです。





7.牧野公園


さて場所はもどって佐川町。ここは駅から歩いて10分ほどにある牧野公園。ここが今回の旅の目的地です。

もともとは『奥の土居』と呼ばれる場所だったそうですが、牧野博士が96歳で永眠した年に行政がこの土地を買い取り、牧野公園と名付けられました。


この公園は地元では桜の名所として有名で、春先には花見で賑わうスポットとのこと。

ちなみにここが桜の名所になったのも、牧野博士がソメイヨシノの苗を佐川町に送ったのがきっかけでした。

公園近くのお寺に苗は植えられ、一度は戦争時の開墾で伐採されてしまうものの、町民の思いで植樹が進み、現在のような桜の名所になったと言われています。



お寺、保育園、城跡や花見で立ち寄る施設などを含む広い公園です。いや、公園というよりかは・・・



山です。



公園内ではこんな感じの坂道がずっと続きます。観光に訪れる場合は歩きやすい靴にしましょう。

途中にベンチが多くおいてあるので、ちょくちょく休憩しながら植えてある草花を眺めて進むのがオススメです。

私は調子に乗って駆け足で登っていったのですが、次の日に脚が終わりを迎えました。



植物分類学者だった牧野博士の名を冠するだけあって、公園内は植物の名を表した看板がたくさん設置されています。

ふだんなら何の変哲も無い草花と意にも留めないのですが、こうしてまじまじと名前を見る機会が与えられると、それぞれの植物にも個性があることに気づきます。

雑草だと十把一絡げにしていた存在の中から特徴を見いだすことで、自分の中で分解されて輪郭づけられていく・・・。

どんどんと分解能が上がっていくこの感覚が、もしかしたら牧野博士が話していた『雑草という名の草はない』という言葉の意味なのかもしれません。たぶん。



ちなみに道を登りきった先には『物見岩』というものがあり、展望台の役割を果たしています。

岩が展望台?どういうことかというと・・・



こんな感じで横から岩に登り、奥側に回ることができるのです。天然の展望台だ。



登って景色を見ようとしたときの足下がこちら。ちょっと先は岩の端、言ってしまえば崖です。当然 柵などはありませんし、奥にむかって段状になっているので油断すると転げ落ちていってしまいそう。感覚的には下まで10数mくらいの高さがあります。



そしてその高所からみた景色がこちら。佐川町を一望できます。

足下が不安定でちょっぴり怖いですが、この開けた景色と吹く風の気持ちよさ、人々が登る理由も分かる気がしますね。

ちなみにこの写真の下部にある樹木は桜。花見のシーズンはキレイに桜色に染まるそうです。春にもまた来たいなあ。




牧野博士との対面


さてここが今回の旅の終着点。そう、牧野富太郎博士の墓所です。

牧野博士が亡くなったのは都内ですが、生まれ故郷であるこの地にも分骨されたようです。その分骨墓がこの牧野公園にあります。



ようやくお会いできました。博士の愛した植物に囲まれ、ひっそりとした自然の中に博士は眠っています。



墓標の近くにはスエコザサという草が紹介されていました。この植物は当時は新種で、亡くなった妻・寿衛子さんに感謝の意を表して博士が命名されたものです。

博士の眠る地のそばで、妻の名前を冠する植物が群生する・・・なんだか感傷的な気持ちになっちゃいますね。


ちなみに高知ではこのスエコザサを使った蒸留酒が作られており、『マキノジン』という商品名で売られています。

そしてマキノジンの蒸留器があるのは、先ほどまさに紹介した司牡丹酒造。物語が繋がりすぎてる。





おわりに


牧野博士をめぐる旅、いかがでしたでしょうか。佐川は小さな町ですが、自然にあふれ落ち着く場所でした。

実はネット上でも、青空文庫では牧野博士の自叙伝を、牧野植物園のホームページでは著作の牧野日本植物図鑑を読むことができます。

今回の記事でも参考にした自叙伝も掲載されているので、ご興味ある方はぜひご覧になってください。



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ミオハヤテ
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