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『自己言及』のはなし
この文章は嘘です、は矛盾な文として有名。
文章が正しかったら述べてることは嘘じゃないし、文章が嘘だったら正しいことを言ってることになり、これも嘘じゃない。
だから文章として成立がしないね、ってやつ。有名やね。
最近、似たような構造の文をみつけた。
『私は多様性のある意見を認めるべきだ』だ。
この人に対して『私は多様性のある意見なんて認めてはいけないと思う』と意見をしてみよう。
もしこの意見にも賛同すれば『多様性を認めない』を認めることになる。つまりは多様性のある意見は認められない。
逆にこの意見に反対すれば、多様性のある意見は認めないから、最初に宣言した文は誤りだ。頭がこんがらがってくるね。
するとこんな反論があるかもしれない。
"『私は多様性を認めるけれど、多様性を認めない人がいるってことは認めるよ』って意味じゃないの?"
これをしてしまうと、多様性を認めるべきか、認めないべきかの議論は成り立たない。
だって最初の議題は『多様性を認めないという多様性も認めるべきだよね』という主張になるだけで、無限後退に陥ってしまう気がするから。
最後にしょうもないはなし。
最近なんだかひっそりと老いを感じはじめている。物覚えも悪くなり、肌のハリは減り、ここから下り坂って感じだ。
でも不思議と、そんな老いを受け入れるのはなんだか怖くない。
なんでだろう?と自分なりに考えてみたが、もしかしたらこういうことじゃないか。
『老いはじめてくると老いに対する恐怖心も老いてくるから怖くない』
これも自己言及だったりしますか?うーん、なんか違うね。こんがらがった頭では判断できないので、今日のところはおしまい。
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