ミントグリーンの月 #Chapter1-2
毎日の体調不良と寝不足と赤ちゃんのお世話と家事と、そして非協力でいつも眉間にシワを寄せ、自分の方が大変だというアピールをする同居人と、そのすべてが一気にわたしにのしかかり、体調だけでなく、精神的にも崩壊寸前だったんだと今思い返す。
思えば、自分の存在価値のようなものは強制的に一気に無くなっていくことを、心底体験出来た5年間だったなと思う。
人間の自分に対する存在価値というのは、こうも簡単に消え去ることが出来るのだな。
それは、体力と気力がいっぺんに無くなってしまったとき、頼る相手が皆無なときに起きるんだな。
こんなことを体験するなんて。
出来れば感じたくなかった体感であり、同時に、存在価値について心から学ばさせられた気がしている。
いとも簡単に。崩れてしまう。
人間の自己肯定感。
そしてそれは今思えば、本当の自己肯定感では無かったのかもしれない。
あくまでそれは、すべて人が関わっていたから。
自分以外の人によって、決められていると無意識に感じていた。
そしてそれは、体力と気力が一気に落ちた時に重なると陥りやすいのだということが、わたし自身が体感し学んだことである。
出産後の身体は、本当は全快するのに3年はかかると言われています。内臓損傷と同じだと。この事実を知っている人は、果たしてどのくらい居るのだろうか。
わたしは、良くも悪くも身を持って体感し、協力者が側に居るはずなのに実際には存在しない孤独感を5年と少し体験し、やがてある出来事が起きて、その環境から離れる決意を固めた。
このことは、わたしが話すと愚痴のように聞こえてしまうかもしれないが、ここは、わたしの場所なので敢えて書かせていただこうと思う。
多かれ少なかれ、あの状態が続いていく限り、あの環境は長くは続かなかったのだろうと今では思っている。
ある日突然それは起きたようにわたしは感じたが、実際にはそうではなく、長年の積み重ねでそれは表に出た。
ありがちな展開である。
夫の不倫だ。
職場で家庭の愚痴を言い、いろんな人達をわたしの敵にしていたのは知っていた。
自分の身を守るため、わたしを悪者にしていたのは知っていた。
彼は表面ハンサムな方で愛想も良く優しく人から可愛がられる徳なタイプだったので、きっと誰も本当は自己中であり短気なことは知らなかったはずだ。
結婚すると豹変する、典型的なタイプであった。
環境から無意識下に男尊女卑が内在しているステレオタイプでもあったが、きっと誰も気が付かないであろう。
わたしが妊娠しても煙草は辞めず吸い続け、車の免許も離婚するまで頑なに取ってはくれなかった。
わたしの住む場所は田舎なので、移動はどうしても車が必要である。冬は豪雪地帯なのでマストなのだ。しかし彼は頑なに免許を取ってはくれなかった。誰に言われても頑なだった。何年も頑なに免許を取らなかったのだ。
なのでわたしは体調が悪い3年間、どこに行くにも自分で運転した。
これが本当に辛かった。
今でも思い出すと涙が出てくるくらいには辛かった。
運転をしていると、後ろでチャイルドシートに寝ている赤ちゃんがしばらくすると泣き出すので、その度に車を駐車し、後ろの席に移動し、授乳やオムツを取り替えたりしたものだ。
そのため、そのどちらでもなく泣くときに、長距離運転をするとき等は、おしゃぶりをさせた。
不思議とおしゃぶりをすると泣き止んで、満足そうに吸いながらまた寝てくれたから。
夫はよく、わたしの運転に文句を言った。
体調が良くないわたしの運転に、である。
そんなことも、親に言ってみても結局、わたしが愚痴っているようにしか受け止めて貰えなかったし、心底理解して同感してくれる人などは居なく、人は皆、言うのだ。
「その生活を選んだのはあなた自身でしょ?」
その言葉が、その人の今ある泣けなしの精神でなんとか生きている心を奈落の底に突き落とす行為とは思いもよらず、簡単に吐き捨てるようにサラッと口にするのである。
正論とはなんなのだろうか?
日々頭によぎる。
それは正論。まさしく。
でも、正論は時に鋭利なナイフになり、人を殺してしまうものでもあるのだ。
どのぐらいの人達がそれを正しく理解出来ているのだろうか。
皆さんは人に心の底から助けを求めたことがありますか?
そして、その上で切り捨てられたことはありますか?
わたしはあるのです。
そして、その結果わたしは離婚しました。
離婚するまでに、次の息子との移住先も決めました。ありったけの残った力を振り絞って。
もう限界でした。
自分たちが正しく生きれていないのに、正論を振りかざす人達と生きていく体力も気力も無かったから。
わたしは環境を変えました。