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ミントグリーンの月 #Chapter 1-1 40代突入からの決意
なんせ身体が動かなくなってしまったのだ。
36歳で初めて出産をした。
陣痛は良いペースできているのに、胎児の心拍が下がり、緊急帝王切開。
無事に産まれてくれて安心したものの、術後の体調は悪く、一向に健康的にはならなかった。
退院後、実家に2週間程お世話になったのだが、その間に高熱が出る。
年末年始を挟んでいたため病院にも行けず、やっと行けた頃には熱は引き、原因は分からずじまい。
傷口は未だに少し痛さを感じる事があるほどなので、当時は相当痛かった。2年は鈍痛を抱えたまま。
病院通いが3年ほど続いた。
産後の傷口による体調不良と、ホルモンバランスを大きく崩したことによる体調と体質の大きな変化が原因である。
朝目が覚めると、だいたいその日の体調が決まっている。目が覚めた時の体調で1日のモチベーションやパフォーマンスは大幅に変化した。
なのでもちろん、育児や家事にも影響はあり、毎日がいっぱいいっぱいとは正にあの状態で、身体を動かすのでさえも大変な日もあり、子どもはかわいいが思うように動かない、動けない自分に絶望する日々が続いた。
夫は決して協力的では無かったし、仕事だけは真面目な人だったが、産んだはずのないもう1人の子どものようになっていたので、わたしの心身はどんどん疲弊し、ストレス度に限って言うならば、もうとっくに限界は超えていたのが事実であり、彼はわたしが病院に通っていても「今日はどうだった?」の一言もないのに、夜の営みだけはしきりに要求してくるような状況だった。
体調が悪いわたしは、それに応えることが出来ず、わたしの今の状態をどれだけ伝えても、一向に理解してもらえない生活に地獄を感じていた。
子育ても、ほぼ1人でワンオペであった。
優しい人だと思って居たが、そうでは無かった。とゆうのが事実だ。
人間性とゆうのは、切羽詰まった時や、1番近い人に普段からどう接しているかに如実に表れるなと心底思う。
幸い当時は実家が近かった事もあり、ごくたまに母に子守をお願いしたりも出来たが、実家が近くても、わたしが娘だと遠慮なく断られるもので、その辺りはやはり、お嫁さんに対してとは違うなと当時は感じたものだ。
さて、体調が悪くなっても毎日の生活はもちろん送らなければならず、0歳が居ると、やらなきゃいけないことが山ほどあるのは、出産を経験している方達は重々承知であろうと思う。
わたしも例外ではなく、家政婦さんを雇えるわけでもないので、どんな日も動かざる終えなかった。
スーパーとドラッグストアにだけは、どうしても行かなければいけない日が度々あり、その度に自分に鞭うって、無理矢理にでも買い物に出たものだ。
地域的にも冬場には豪雪になる土地柄なので、車を使うのだが、まず玄関先の雪かきと、車の雪下ろしをする。買い物は、その行為から家に帰って来るまでがワンセットである。
しかし田舎なので、度々知り合いに会い、その度に時々心無い無責任なことを言われ、傷付いた時もあった。わたしは産後、ホルモンバランスを崩して大幅に体重増加をしたのだが、人はやはり見た目でしか見ないことを心から痛感したものだ。
他人にあなたの体調など関係ないのだ。
人は好き勝手言う。
その事実は、わたしがこの経験から学んだことの1部であることに間違いはない。