6日目 海の音が聞こえる
子供の頃、母方の祖父母から「貝殻を耳に充てると海の音がする」と言い聞かされていた。
子供の私は率直で、「そんな音はしない」と返していた。
母方の祖父母は岩手県の普代村というところで育った。沿岸の小さな村で、現在は集落と呼んでも過言でないほど規模が縮小している。
私はこの村に一度だけ、母と2人で訪れたことがある。私が20代で、色々あって地元でフリーターをしていたときのことだ。
それは田舎も田舎、山並みを車で二波も三波も超え、長いトンネルを何度もくぐり、渓流が大きくなるのに沿っていくと、やっと「人里だ」と思える場所に着く。
コンビニはなく、個人経営のスーパーしかない。
駅はあるが、改札はなく、一体どこに続いているのか不安になるほど、線路の先は山と海しか見えなかった。
村には駐車場なんて上等なものはなく、
母と私は少し車で村を走った後、諦めて近くの観光スポット用パーキングエリアに車を止めた。
しかし部外者にはそれが正解だったようだ。
この観光スポットとは、普代村に面する海のことだったのだ。駐車場の遠くに、砂浜と海が見えた。
母と私は海を見に歩き、
そして私は息を呑んだ。
ここはさっきまでと違う、遠い異国とまで思った。
海は大層美しく、どこまでも透き通る瑠璃色の水が地平線の向こうまで広がっており、まるでそれがこの世の全てのようだった。
無論、海を見たのはこれが初めてではない。
しかしこの海は、私の記憶にある海を一瞬で塗り潰した。
白い砂浜を越えて波打ち際まで行くと、海の中で貝が歩いているのが見えた。
祖父は言っていた。
「普代の海はどこよりも透明だから、目をかっぴらいたままでも素潜りができんだ」
それはどこか得意げで、
「夏になるとウニなんか腐るほど取れっぞ。戦時中は兄弟で潜って食料を取っててな。俺が予科練に行くまでだけどな」
私はこの目で見るまでそれを疑っていた。
祖母は言っていた
「海は津波も来るし溺れるしおらぁ嫌いだぁ。けんど普代の海は綺麗だったぁ。懐かしいなぁ」
と。
祖母は祖父と違いネガティブなところがあり、
海そのものが得意ではない人だった。
そんな人でも普代の海を忘れられなかったのだ。
忘れられないだろう。この瑠璃色を見れば。
白い白いこの砂浜を見れば。
岩手の海は太平洋なので、波は荒いはずなのだが、その日の普代の海は穏やかだった。
静かなザーッという音が、間隔を開けて聞こえてくる程度だった。
これが、祖父母がかつて聞いていた海の音だ。
「貝殻を耳に充てると海の音がする」
貝殻は祖父母の記憶の扉だ。
私には聞こえなかった海の音が、普代の海の音が、彼らには聞こえていたのだ。
もしも今貝殻を耳に充てたなら、
瑠璃色の透明な海の音が、
私にも聞こえるのだろう。
「貝殻を耳に充てると海の音がする」