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閉じ込めて、春

急に春めくものだから、服装を間違え、あやうく熱中症になるところだった。
用事で出かけたついでに、桜の綺麗なところへ行って写真を撮ったりしていると、皆一様にパシャパシャとやっていて不思議な気持ちになる。桜なんて、毎年咲くし、毎年こうやって撮っているはずなのに。そのくせ、撮ったものを見返すことはほとんどないのでしょう?
ではなぜ撮るかと考えたらば、一年に一度、というのがやはり大きいように思う。ずっと咲いていたらただの模様になってしまうし、自然がもたらす絶対的期間限定のものだし。あとはひとつひとつの花びらが小さいところ。ふさふさとした塊がいくつも付いていて、それが風に乗ってはらはらと飛んでいってしまうという儚さ。そして青空とのコントラストに、どうしても目が惹かれてしまう。
いくら撮っても、iPhoneに閉じ込められた桜よりも目の前に広がるそれの方が、綺麗でかわいくて、儚げであるのが悔しい。だから撮りたくなかったのに。今年もまた、桜の写真を増やしてしまった。


春、といえば今年の私は『春のこわいもの』が読みたくて仕方がない。
なんとまだ手に入れることができていなくて、毎日どこかしらの関連インタビューを見てはやり過ごしている。
この間読んだインタビューで、川上未映子はまた夢の話をしていた。コロナ禍でしばらく人と会わずに、「思いだす」という行為しかしなくなると、その人との思い出が夜に見る夢との区別がつかなくなる、とのことだった。(https://wotopi.jp/archives/126019)


しかし、そんな中でも「またいつか会うかもしれない」という希望のある人の夢は見ないそう。私はこれを見て、川上未映子の夢に出てきた男の子のことを思いだした。
たしか、『ラヴレターズ』というアンソロジーの中に収録されていた話だったと思うのだけど、学生時代にお付き合いしていた男の子が何度も夢の中に出てきて、そしたらその人の妻と名乗る人から嫉妬のメッセージが送られてきて参ってしまった、という話。
川上未映子にとって、このときの男の子は、もう会うことのない人のうちのひとりなんだなぁと、さみしいような、ほっとするような、なんだかよくわからない気持ちになった。
私も夢を見ることはあるけれど、傾向も何も統計をとれるほどの量を見ないのでわからない。最近は就活で落とされる夢ばかり見るけれど。


このインタビューの後編で、川上未映子は「緊張して」書くことが大事だと言っていたけれど、綿矢りさは緊張しすぎていた過去を振り返る話を、最近の新聞でしていた。



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