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大学生編、最終回

鬱々として、春。
このあいだの雨で、春の雨がいちばん苦手かもしれない、と気がつく。


本は読めたり読めなかったり。
最近は短歌がものすごいブームになっていて、逆張りの気がある人間としては少しだけ遠ざけたくなってしまったりして。
でも、好きな書店の短歌コーナーにはどうしても目を向けてしまうし、数ヶ月前からずっと買おうか悩んでいる歌集を、毎度懲りずにパラパラとめくってみたりして、そろそろ買ってしまってもよいかもしれない。


卒業論文という人生のハードルをひとつ飛び越えて、あんなものはもう二度とやりたくないものだと、分厚く綴じられたコピー用紙の束を眺める。
結局本当に知りたかったことを知ることはできなかったけれど、ふりかえってみれば、ちゃんとわたしの好きそうなテーマを選び取れているように思うのでよし。
初めて徹夜を経験して、寒い中、フワフワの頭と身体を引きずって大学の図書館へ行ったことも、すでによい思い出になりつつあるのがこわいね。


好きなものがまた増えて、わたしって生きるのが上手すぎる、と思う。
けれど、うっかり死にたくなる夜があることも確かで、というか、夜でも昼でも関係なく死にたくなることはあって、でも本当は死ぬことなんて考えていなくて。

だって、死んだらラーメン食べられないし。
良席の舞台のチケットだって持っているし。
積んでいる書籍であふれかえっているし。
クレカで買った受注商品もまだ届いていないし。

死ぬ理由なんてひとつもない。
でもやっぱり、どうしても、こんな世界、と思う瞬間がいくつもあって、きっと一生分かりあえない事象を並べては払いのけて、全部ぐしゃぐしゃにしたくなる。


ギャラリーを借りて自分の写真を展示する機会があって、そこで知らないおじさんに結婚と妊娠は早いうちにね、と言われて凍りつくのは初めてのことではない。
どうして名前も知らない人に、わたしが結婚、妊娠、育児、という段階をあたりまえのように踏んでいくものだと思われなくてはいけないのかはちょっとよくわからないのだけど、その人の娘は医者か何かで、高齢出産はリスクが高いという話を聞きかじったのだとかなんとか。自分の父親が見ず知らずの人間の、女性の、人生について、知った顔で教えを説いたような気になっているだなんてわかったら、その医者はどう思うのだろう、などと考える。

男性だったら、あるいは、共学の学生だったらきっと、こんなことは言われないのでしょうね。


パソコンでことばを並べるほうが、スマートフォンで文字を打つのよりなんかいいね。
画面も大きいし、タイピングも軽やかで、すぐに読み返せるし。


というわけで、わたしの大学生編、最終回。
数えたらちょうど20回目の投稿だった。
社会人になったら好きなことが一切できなくなると思っているのだけど、早くそんなことないよって、言えるようになりたいね。



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