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274.孤独な鳥は非常にやさしくうたう
うたちゃん(中1娘)のミュージカル公演本番ということで観にいってきた。本番といっても、メインは小学生たちの舞台で、彼女は中学生なので友情出演的なポジション。いろんな場面のダンスシーンで、中学生のダンサーたちが踊り始めると舞台がきりっと引き締まってカッコいい。
っていうか、わたしはわりと普段からライブや小劇場系のお芝居にひんぱんに行くライフスタイルだったことを思い出した。開演前に、会場全体が暗転して、こっちの世界からあっちの世界に行く準備がはじまる。「あ、もうすぐだ」という高揚感が客席から波のように伝わって、歓声が上がり拍手がなりはじめる。
そういう世界。とつぜん恋しくなった。すっかり忘れていたのに。
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きのうの羽生結弦の演技について「あれは一体なんだったんだ」というつぶやきがわたしが見ているFacebookの世界で静かにささやかれていて、「あれはこういうものだったんです」という答えはどこにもないんだけれど、わたしたちの中になにかを残したんだなと思う。
彼は「なんらかの感情を灯したい」と語っていたけれど、灯されたのは感情だったのかな。もし感情だったとしたら、それはわたしにとっては「孤高」という言葉がもっとも近いような気がした。
GPシリーズをすべて欠場することに決めて、いつものシーズンとはまったく異なる状況下だったこの2020年の、彼の濃密な”内側への旅路”を思うとくらくらしてしまう。ショート・フリーともにあのプログラムは、あの完成度は、あの”二十億光年の孤独”ばりの孤高感は、この状況下でもたらされた福音で、祝福なのかもしれない。
彼のフリー振付師であるシェイ=リーン・ボーンからの手紙の一文がとてつもなく美しかったので、ここに書いておく。
Blade touches the ice.
Sun shines; winter over.
Music fills the air.
ブレードは氷に触れる。
太陽は輝き、冬は終わる。
音楽が空中を満たす。
よっぽど、心が震えたんだな....わたし。
ひとはどこまで生きられるのか、ということを考えているから。
どこまで、というのは寿命じゃない。自分に与えられた存在の力すべてを、1ミリも1滴もあますところなく、天に放ちつづけることができるとしたら、ということだ。
羽生結弦が、羽生結弦であるための最善を、彼の人生のすべての瞬間において選びつづけているそのことが、わたしの胸を震わせる。
「生きろ」と言われているみたいに。
孤独な鳥の条件は五つある
第一に孤独な鳥は最も高いところを飛ぶ
第二に孤独な鳥は同伴者にわずらわされず その同類にさえもわずらわされない
第三に孤独な鳥は嘴(くちばし)を空に向ける
第四に孤独な鳥ははっきりした色をもたない
第五に孤独な鳥は非常にやさしくうたう
サン・ファン・デ・ラ・クルス
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