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フランスな日々。 #留学編3

渡仏前、私は学校のことよりも住む場所に悩んでいた。

本当は不動産屋で部屋を借りたかったが、時間切れで探せずに学校の寮を申し込むことにした。

こうして着々と準備を進めていたのだが、私は1つ肝心な事をしていなかった。

実は留学することを、いまだ家族に伝えていなかったのである。

繰り返すが、これは渡仏する10日前ぐらいの話だ。

おそらくここまで読んでくれた方は、きっとこう突っ込んでくれるに違いない。

「この人ありえんわー!!!」

今更ながら、自分でもそう思う。

結局、家族に打ち明ける場面では、友人たちに味方してもらって事なきを得たのだった…。持つべきものは良き友人である。

ホームステイも選べたが、自分で料理ができる環境が必須条件だった。

三食フランス料理では、お腹に辛いと思ったからだ。

後から知ったが、ホームステイは当たり外れが大きいと、実際にステイした子達に色々と聞いた。

しかし、それはフランス以外でもきっと同じだろう。

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ちなみに私が入寮した建物は古く、ネット環境も有線だった。

水道光熱費込みの個室で、小さいキッチンとユニットバス(もちろんシャワー)付き。

場所は駅の隣だったが、自分の希望家賃よりも高かった。

納得しきれず寮生活が数週間過ぎたころ、真夜中にシャワー室の電球がいきなり落下したのだ。

私は飛び起きてお風呂場のドアを開けると、電球は粉々に砕け散っていた。

原因は不明だが、ここに半年間もいられない!早く別の場所を探さねば!!

1ヶ月もた立たずにそう心に誓った。

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寮のこともそうだが、銀行口座の開設や電話契約や交通機関の定期契約なども自分でしなければならない。

口座の開設だけは、担当者が日本人だったため事なきを得たが、携帯契約はまったくもって謎だった。

日本と同じく携帯会社もいくつかあるのだが、評判の良い携帯会社に電子辞書とともに向かう。

「ボンジュ〜ル」

ドキドキしながら入店。すると店からも声が響く。

「ボンジュール♪」

店員さんがニッコリ出迎えてくれた。

ところでフランスでは至るところで、最初の挨拶が肝心だ。

フランスだけでなく、海外ではこの挨拶こそ最重要事項の1つだろう。

挨拶から始まるコミュニケーションがきっかけで、楽しく過ごせるか否かは決まる事も多々あるのだ。

今まで一人で旅してきた中、各国でそう感じていた。

そしてこのコミュニケーション能力は、語学能力とは別物なのである。

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キョロキョロしながらお店に入ってきた私が慣れない留学生だと、店員さんはすぐに理解してくれた。

「半年ほど契約したいです。」と辞書をひきながら伝えると、店の奥からポケットwifiを持ってきた。

ちょうど今、キャンペーンでそれも1ユーロで付けてくれるという。

おお、ラッキー!!じゃあ、それもいただきますと伝えると、設定などもお店の人がしてくれ無事にお店を後にした。

これで寮の面倒な有線wifiとはおさらばである。

それまで知らなかったのだが、フランスは携帯料金が驚くほど安い。

そのため私は今でもフランスに行くと、先ずはパリの携帯会社で短期契約を済ませてから動き回るようにしている。

日本でwifiを借りていくよりも、はるかに安いからである。

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そんな事も含め、毎日が慌ただしく過ぎた1ヶ月。学校にも町にも少し慣れてきた。

寮には不満だったが、たまに友人たちが訪ねてくれて皆で料理をしたりした。

よく考えてみれば、私は寮に住んだこともなかったし、一人っ子だったためキッチンに誰かとワイワイしながら料理をした経験は皆無だった。

これは寮での本当に楽しい思い出である。

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やはり学生は楽しいし、自由だなぁと痛感した。

もし、これを読んでくれるアナタが学生なら、どんどん色んな事に挑戦したほうがいいと思う。

だって何度失敗してもやり直せる。その時間がある。

日本はもっと学生に投資をするべきだと、私は常々思っている。

日本全ての学生に投資したとても、予算なんてたいした事ないだろう。

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フランス語も少しづつだが判り始めると、クラスメートとも親しくなっていった。

「ねぇ今日、みんなでカフェに行かない?」

「行きたい!!」

「じゃあメインストリートの〇〇カフェでね!」

「うん、またあとで〜!」

そうして集まったカフェで、皆で喋ったり宿題をしたりしていた。

初級クラスは助け合い精神が蜜なのだ。

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多分、みんながフランス語や生活に慣れないから、相手の気持ちが判りやすいのだと思う。

もちろん、上のクラスの人にも色々と判らない事を教えてもらったが、よくカフェに集っていたのは初級クラスの時だった。

カフェのウェイターもたまにやってきて「ここ間違っているよ」とニコニコしながら教えてくれる。

留学生が多い町なので、みな外国人に親切にしてくれるのだろう。

こうして町のあちらこちらに、少しづつだが居場所が出来ていった。

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平日は学校の宿題と生活に追われて1日が終わるが、週末は列車に乗って友人や一人で、たびたび別の町に出かけるようになった。

ロワール川流域には、数え切れないほどのお城があるからだ。

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なぜなら昔、ここは政治の中心地だったからである。

おそらく地元の人も、正確な城の数が判ってない人が多いと思う。

しかし異国の地から来た私にとって、子供のころ読んだ童話のお城が目の前にあるのだ。

眠れる森の姫のモデルになった城や、歴史的事件のあった城、狩りするために作った城など様々だ。

入場料さえ払えば、開館時間には好きなだけいられる。

中でも私のお気に入りの城は、アンボワーズ城とシュノンソー城だった。

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このアンボワーズ城の一角にはレオナルド・ダ・ヴィンチのお墓があり、ここには4回は行ったと思う。

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当時の国王フランソワ1世は、芸術の庇護者でもあったため、イタリアから彼を呼び寄せたのである。

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国王は、ダ・ヴィンチを友人としても手厚くもてなしたと言われており、彼が亡くなった時はたいそう悲しんだそうらしい。

ちなみにフランス語読みでは「レオナルド・ダ・ヴァンシー」と呼ばれるため、当初は違和感を覚えたが、あっさり聞き慣れてしまった。

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このアンボワーズ城の近くには、ダ・ヴィンチの研究所なども残されており、今でも人気だ。

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一方、シュノンソーは、優美でこじんまりした女城主の城でもある。

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接待用の城のせいでもあるからか、調度品や絵も優美な感じなものが多く、狩りのために造られた男性的な城とはまったく異なっている。

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今でも城内には美しい花々がたくさん配置され、季節ごとに生け替えられる。

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おまけに美しい庭園の池には、お決まりのように白鳥がプカプカ浮かんでいたりもする。

「うっきゃーっっっ♡♡!!美しいーーーーっっっ♡!!!」

欧州歴女には、たまらない空間である。

いやいや、女性は誰でも一度はお姫様空間に憧れるものなのだ。

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ところでこのシュノンソーには、幾人もの女城主が住んだのだが、中でもイタリアから嫁いできたカトリーヌ・ド・メディシスは有名である。

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当時イタリアは、ヨーロッパでも洗練された文化の中心地だった。

そしてイタリアのメディチ家といえば大富豪であり、時の実力者でもある。

悪女と呼ばれるカトリーヌだが、フォークなどのマナーをフランスに広めたのは彼女という説がある。

それまでフランスでは貴族でも、素手などで食べていたらしい。

その光景を見たカトリーヌはさぞや驚愕しただろう。

その後、フランスでもフォークとナイフを使い、食事をするようになったそうである。

ところで肝心の夫君は別の女性に夢中で、このシュノンソーをその愛妾に贈っていたのだ。

紆余曲折後、カトリーヌは愛妾をシュノンソー城から追い出すのである。(正確には別の城と交換したそうだが真意は不明。)

もしかしたら彼女はこの城で、振り向いてくれない夫の事を考えていたのかもしれない。

いやいや、もしくは使えない夫に見切りをつけ、自分が権力を振るう算段を考えていたのかもしれない。

ああ、だから彼女はノストラダムスを呼んで占星術に凝りだしたのか〜、など勝手な妄想は止まらない。

そんな事を考えながら、ヨーロッパの歴史空間に1人悦に入っていった。

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それからというもの私は本来の自分に目覚めたごとく、よく判らないハイテンションで週末には出かけて行った。

まさに水を得た魚。いや、私なら籠から脱走した鳥か。

そうして日本の家族や友人にも、この風景を見せてあげたいと思うようになっていった。

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ゆるゆる〜と続きます…<(_ _ ;)>ごめんちゃい。





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