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静脈と動脈、ハサミと剃刀のダンス
笑え、笑え。
踊れ、踊れ。
その昔、さんぱつ屋は戦争中に召集を免れた半島の人たちがやっていた商売だったという。
それはそう、当時日の本の男という男達は、皆駆り出されてしまったのだから。
戦時中でも髪はのびる。
とつくにの人種ということで強制をかわせた人たちの小さな店は、それでも必要とされたからそれなりに役に立っていたのだ。
ごらん、あの角の青と赤の
くるくるが回ってる古い床屋なんか、
今にも崩れ落ちそうな店構えながら、
ゆがみ窓から覗き見たタイル張りの
シャンプー台など、
どうしてなかなか堂に入ったものではないか!
さすが私が目をつけただけはある。
あそこには夢が棲んでいる。
今ではもう稀少な、誰も見向きもしない夢だ。けれども、私はそれを欲する。
そうなった以上は、コレクションに加えて、たまに取り出しては味わってみよう。
水のある所、夢の棲む。
人工の、優しき、気がねのいらない場所。
かつて出会いしタイル張りの楽園に
願わくばもういちど出くわせたなら、幸運。
埃っぽい幹線沿いのバス停のそばにその店はあったが、今は小さな駐車場になっている。
ペンキのひび割れていた窓枠や、歪んだガラスのはまった扉、その奥で椅子に座って新聞を読みながら来ない客を待っていた主人。
記憶の中に今もあるその店の光景を通りすがりにちょっと思い浮かべてみたりするのは、単なる郷愁というよりも、まだどこかの時間の中では存在しているはずの店のことを手離したくない気持ちからで、自分のコレクションを減らしたくないという至極自分勝手な理由からだということは十分自分にはわかっていた。
陶器のシェービングカップに泡立てた石鹸水を入れ、顔に刷毛でたっぷり塗ってから剃刀を当てる。主人の慣れた手つきに危なげな気配は無いけれど、やはり少し緊張する。刃物を肌にあてがう時の一瞬。
笑え、笑え。
踊れ、踊れ。
異国のどこかでたったいま、伸びたあご髭をなでる誰かを思い、剃刀はダンスを踊る、石鹸の泡のフロアーで。何時何分何秒、あちらもこちらも、同時に世界はくるくるまわり、髪ものびる、髭ものびる。
だから、さんぱつ屋はなくならない。
さんぱつ屋はこの世界に必要なものだから。