遠くと信号(その1)
ターミナル駅から西へ繋がる路線に乗り換えて、終点に着いたらそこから更に西へと向かう電車に乗り換えた。朝、家を出てからもう5時間くらい経っているんじゃないか。
電車は乗り換える度に人が減ってゆき、窓の外は山や畑ばかりになっていった。
今乗っている電車は向かい合わせになった座席に母さんと座って、1時間以上になる。
母さんは何も言わずにずっと窓の外を見ている。ぼくは退屈だけれど、話しかける雰囲気じゃないのはわかるので、とりあえず黙っている。車内にはぼくらのほかは、2~3人くらいがまばらに乗っている。
もうあの家に帰ることはないんだろうな。
なんとなく、そう思う。今朝、突然母さんは少しの荷物をまとめると、ぼくの手を引いて駅に向かい、そのまま西へ西へと電車を乗り継いでいる。
家の荷物はそのままにして。ぼくのランドセルも教科書も、まだ読み終わっていない漫画週刊誌も、ゆうべ置いた場所にまだあるはずだ。
朝ごはんに食べたトーストを乗せたフチが少し欠けたお皿と、青いストライプ模様が縦に入ったミルクを入れるコップは、洗いかごに伏せたままだ。毎日使ってたけど、もう手にすることはないんだな。今もあの西向きの台所の窓からの光に照らされてそこにあるのにな。
ぼくは想像してみる。
今乗っている電車を元来た方へ戻りながら乗り継ぎ、また5時間以上をかけてあの見慣れた最寄りの私鉄沿線の各停しか止まらない駅に着いて、駅から歩いて10分のアパートにたどり着く。
玄関ドアを開けてすぐ横の台所を見れば、朝置いていったままに、お皿とコップは洗いかごの中にある。今ならまだ、そこにある。
だけど… このまま離れていけば、お皿とコップはいずれどこかへ消えるだろう。
それはあのアパートで暮らした日常が消えることを意味していた。
きのうまでは続いていた日常。今朝まではそれが終わることがあるとは考えもしなかった。
今、そこからどんどん遠く離れてゆくのは、なんだか妙に体が軽くなるような気がした。
不思議に不安はない。それはとりあえず母さんが一緒だからという事からか、それとも、このまま電車に乗ったままずっと暮らしていくのなら、それも悪くはないなんて、ちょっと考えたりしているからかもしれない。