取り返しのつかなくなった話
それはたまたまほんの少しの時間、わたしがその部屋に一人きりになったことから起こった出来事である。
その時ある装置のことをふと思い出したのだ。それは上司の机の引き出しの上から2番目、奥の仕切りをはずした下にあることを、なぜかわたしは知っていた。
上司と飲みに行った酒の席で、酔った彼がふいに漏らしたのだったか、それとも一緒に得意先に向かう車の中でなんとなく話題が欲しくて彼が冗談めかして話したのだったか。
今となっては、よく思い出せない。ただ、その話を聞いてから、ある装置の存在は、私の中に強く居座ることとなった。
あれを、見てみたい。本当にあるのかどうか。あるのならば、一体どんな形をしているのか。
わたしは上司の話の中でしかその装置の存在を知らない。ならば、今がそれを確かめる絶好のチャンスである。
地上52階にあるオフィスの窓からは、おだやかな秋の日差しがふり注いでいる。誰もいない空間にかすかに空調の音だけが響いている静かな午後だ。
わたしは上司の引き出しに手をかけた。
奥の仕切りをはずすと、それは無造作に転がされてそこにあった。
手に取ってみると、見た目よりもずっと軽い。鉱物的な外観であるが、すべすべした感触は何か樹脂のような質感もある。不思議な代物だ。
しばらく両手でもてあそんでいたが、ふと、装置の窪んだ部分に切れ目があるのに気がついた。切れ目に沿ってずらしてみると、少しだけ動く手応えがある。ただ、バネ仕掛けがしてあるのか、はずそうとすると、負荷がかかり、強く押し戻されてしまう。
何度か試みるが、開かない。わたしはムキになってきた。なんとしても、開けてみたい。開けてこの装置の中身がどうなっているか、確かめたい。
両手で何度も押したり引いたりしているうちに、わずかな隙間から中身らしきものの色が見えた。それはなんとも形容し難い色味で、明るいクリーム色のような、少し青みがかったような、濡れたように光沢のある、素材がなんなのか全く見当のつかない、今までに見たことのない物質であった。
わたしはますますそれを確かめたくなり、やっきになって、無理やりそばにあった金属製の定規をその隙間に押し込んだ。その瞬間、
ギボン!
水が排水溝から溢れるような音がしたかと思うと、装置の隙間からぶわっと、青みがかったクリーム色の物質が溢れ出し、濡れたような感触を残しながら部屋のすみずみにまで広がろうとした。
わたしはまずいことになったとあわてて、隙間をふさいでもとに戻そうとしたが、強い力が内側から働いていて、物質をとめることができない。無限に溢れ出るかのように勢いをつけたクリーム色は、ドアの隙間をすり抜け、窓ガラスは難なく透過して、またたく間に世界中に広まっていってしまった。