新藤とサマーランド
スピリチュアル用語にサマーランドというものがある。現世で死を迎えた後、よき魂が訪れる常夏リゾートのような楽園だ。そこでは思ったものがなんでも具現化、イメージが実現する。物質的な肉体は失っていても、観念的な肉体はまだ存在している。だから音楽や美食、スポーツに芸術活動、それからデートだって楽しめる。いつまでも無限に、魂がそれに飽きるまで存分に。サマーランド、そこは天国に一番近い世界だといわれている。
「富士急サマーランド?」
「いや、違う」
「……あ、富士急はハイランドじゃん」
「だから違うんだって」
サマーランドの概念を考えてみると、それはVR空間とかオープンフィールドのRPGに近い。限りなくリアルに作られた仮想現実にいるようなものだ。すべてはプレーヤー次第、なんでもやりたい放題のゲームをプレイする感覚。例えば竜退治をして世界を救う。都市のクラブでバンド活動、あるいは湖畔の豪邸に引きこもって読書三昧。マフィアになって激しい銃撃戦、その合間には気ままな食べ歩き。魅力的な女性たちも自分を待ち受けている。彼女らを相手にハーレムめいた欲望の発散、そして至上の恋愛。……まるでオールジャンル網羅した究極のVRゲームのようだ。新藤はニートだからゲームにも詳しい。
「分かった。サマーランドは、あきる野市だ」
わざわざスマホで検索したらしい市塚が「どうだ」と得意げな顔で言ってくる。だから、おれは遊園地とかプールの話をしてるんじゃないんだ。新藤は改めてサマーランドについて語る。仮想現実のような天国、その概念。なんなら世界自体を好きなように作りかえたって構わない。Unrealエンジンの設定をちょっと弄るだけ。なるほど、たしかに天国。それも至極現代的で最新式の世界観なんだぜ、これは。説明しているうちに新藤はちょっと興奮してきた。
「あー、そんな感じの天国。いいね。でも、なんでサマーなわけ? 普通に考えたら、夏よりも春の方が天国ぽくない?」
なるほどスプリングワールド。市塚の言うことにも一理ある。日本人的な感覚では、たしかに春の方が天国ぽく思えるかもしれない。お花畑、爽やかな風が吹き抜ける草原、あと桜の森の満開の下とか。でもサマーランドなのだ。そういう名称になっている。いわゆるスピリチュアリズムが主にイギリスで発祥、確立されたことに関係しているかもしれない。じめじめとして寒い気候の国では、夏のバカンスが天国のようにイメージされたのではないか。新藤はそのように予想した。
「なるほど。それはあるかもなー」
さも感心したようなリアクションを市塚はするのだが、その視線は手元のメニューに注がれている。本当はこの話題に関心がないのだ。市塚は気分よく飲めれば、それでいい。あとのことはどうでもいい。そろそろ生のジョッキをお代わり、ついでにレバ焼きでも注文するつもりだろう。いつも通りだなと新藤は思った。スタジオ帰り、この店で飲むのが習慣になっていた。
「すいません、生もう一杯。あとレバーください」
案の定の市塚だ。こいつはむかしから変わらない。考えてみれば、最初はちゃんとバンドだった。しかし企業に就職して海外転勤になったり、あるいは「音楽性の違い」などと嘯いてメンバーは段々と抜けていった。いまではドラムの市塚と、ギターの新藤だけ。それでも週末にはこうして集合、二人だけで無目的なジャムセッションを繰り返している。
「すいません、生お代わり。それから、あん肝ポン酢」
とにかく市塚は生ビール、そして生臭いツマミを好む。生臭いものはビールにはあまり合わないんだけどな。新藤はいつもそう思った。でも市塚が市塚の金で飲んでいるのだから、なにも言うことはない。新藤は基本的にニートなので、金を持っていない。それでもなんとなくスタジオ料金を捻出していた。足りないときには市塚に借りた。飲み代はほとんど市塚が払った。そのことに関して市塚はとくになにも言わない。新藤も同様。なんとなくそうなって、それがずっと続いている。
「すいません、生ください。あとイカワタ包み焼き」
それにしても、よく飲むし食う。もう何杯目の生ビールだ。そういう新藤も、いつもよりは酔いが回っていた。それでサマーランドの話なんてしたのだった。普段はそんな話題は出さない。新藤は霊的事象によく遭遇する。たぶんニートだから。だからスピリチュアル方面にも自然と関心を持った。暇なものだから、そういった本もよく読む。
「すいません、生。それにカワハギの肝醤油」
まだ頼むか。そろそろ健康に気を使う年齢だというのに。プリン体とかそういう……まあ、どうでもいいか。食べるのも飲むのも、そして払うのも市塚だ。ところで、サマーランドでは自分自身も好きなように設定できるらしい。理想の年齢、思うがままの姿でいられる。もちろん整形なんて手術不要で無問題。Yes! 高須クリニック。やはりゲームのアバター作成のようでもある。すると自分としては、どんな姿でそこにいるだろう。新藤は目を瞑ってイメージしてみた。大学生の自分の姿が、なんとなく浮かんできた。
「あ、生もう一杯。あとホヤの塩辛」
すべてイメージ通りになるのなら、赤髪でキリッとした細マッチョ欧米人とか、いかにもなゲームの主人公キャラでもいいはず。あるいは漫画みたいな巨乳女になってみたい。しかしサマーランドにいるのは、あくまで大学生の自分。とくに容姿に自信があるわけではないが、新藤のイメージではそうなっている。……いや格別にイケメンではないが、自分のルックスはそう悪くもないと思う。なんというか、味がある? 仲間内で撮っていた自主映画では何度も主役を演じさせられた。もっとも色物のような作品ばかりなのだが。新藤の自己評価は、どの面においても総じて高い。それもニートだからかもしれない。社会に要請される通過儀礼を概ねスルーしているからか、新藤は基本的に学生時代から変わらない。外見も中身もほとんど一緒。そのままの新藤。サマーランドを満喫する万年大学生がそこにいた。
「生! あとすいません、カツオの酒盗、クリームチーズのせ」
しかし変わらないと言えば、市塚も学生時代から、ほとんど変わっていない。飲み方、しゃべり方、服装、その他諸々すべてだ。それは新藤が市塚と定期的に途切れず顔を合わせているから……いや、やはりこいつは変わらないのだ。恐ろしいほどに。新藤は改めて市塚を見つめる。市塚は、それなりに大きな企業で営業をしている。しかし職場のことはあまり話さないし、自分も興味がないのでわざわざ聞きもしない。でもそれなりに苦労をしているはずだ。一応はまともな社会人なのだ。なのに新藤が見る限りでは、ただドラムを叩いて、なんとなくロックンロール好きですと言っては大量のビールを飲んでヘラヘラしているだけ。学生時代からずっとそうだった。そんな市塚が、目の前でまたビールを飲み干す。それから割り箸をスティックにして、いい加減なビートでテーブルを軽く叩いた。
「あれ、もう飲まないの?」
視線に気がついて市塚が顔を上げる。新藤がいつまでも就職せず、そしてバイトすら辞めてしまったことについて、市塚はなにも言わない。大学を卒業してから、もう何年になるだろう。「もうすぐ30か」なんていう話をした記憶があるから、それなりの年数が経っているはずだ。しかし自分も市塚も変わらない。このまま付き合いは続くだろう。これからもずっと変わらずに。——しかし、それは本当に喜ばしいことなのだろうか。
そこで新藤は、恐ろしいことに思い当たる。
それはただの妄想だと、すぐに理性の声が否定する。しかし頭はすっかりその考えに支配されてしまう。変なふうに酔ったかもしれない。あるいは自律神経が失調。血の気が急に引いて、自分の顔が青ざめていることが自覚された。とにかく外に出たい。
「え、どうした新藤。気分悪いのか? 大丈夫か、お前? ……あ、すいません生ください。あと白子の天ぷ」
まだ飲み続ける気らしい市塚を残して、新藤は荷物をまとめて店を出た。肩に背負ったギブソンのレスポール。長年愛用している、お気に入りだ。我ながら、よく手に入ったものだ。かなり値が張ったはず。……いや、ほんとにこれは幾らしたんだっけ。いつ、どこで手に入れたのだろう。ぜんぜん思い出せない。通りを歩きながら肩に食い込む楽器の重み、急にそれに違和感を覚える。だが大切なギターなので手放すわけにはいかない。
下北沢の街はいつも通り賑やかで、アクセサリーショップに古着屋、小汚い飲み屋に古本屋が並んでいる。行き交う人はほとんど若者か、あるいは若者に見えるような格好をしている。全体的にサブカル臭が漂う。いつもの下北。この街も変わらない。……変わらない。それがやはりおかしい。
ここは、いま自分がいるのは、もしかすると現実の世界ではない。さっき市塚に話していたサマーランドにいるのではないだろうか。
つまり自分はもうすでに死んでいて、魂が死後の世界で仮想体験している。ぬるい自分に丁度見合っている、ぬるい天国を。そんな疑念が新藤のなかで巻き起こっていた。
足早に歩きながら、新藤は考える。高価なギターをニートの自分がどうやって買ったのか。ただ欲しいものをイメージしたから、ここに具現化しているのではないか。むかしから変わらない市塚は、なんだかんだ言っても、いい奴だ。それは自分にとって「いい奴」というようにキャラ調整されているから。卒業して何年が経ったのだろう。そして自分は一体なにをしていたのだろう。なにも思い出せない。
辿り着いた駅前ではバンドがストリートライブ。アンプまで使って、なかなか本格的だ。これも「いかにも下北」な風景。いつもの下北沢には、いつもの人間であふれている。それも本当はおかしい。たしか下北は大掛かりな再開発が行われる計画だった。でもずっと変わっていない。新藤が気に入っている下北沢が、そのままずっと続いている。
「奇妙な日々が私たちを見ている、不安な日々が私たちを追跡している……このまま遊び続けるべきなのか……それとも新しい街で……」
路上ライブのバンドで、若い女ボーカルが歌っている。多分、これはドアーズの曲だ。しかしベースとシンセサイザーのドラム音が刻むリズムは、原曲よりも和風テイストに調整されている。ギターはボーカルが兼ねていて、トレモロが効いた幻想的なリフは悪くない。各パートの調和も一応は取れている。しばらくじっと演奏を聞いていた新藤は、しかし不満を覚えた。ちょっと音が小さいのだ。その遠慮が全体のスケール感を殺している。とくにギター。もっとデカい音で鳴らさなけりゃ、意味がない。ロックンロールなんだぜ。
「お前らさ、もっと音上げろよ。やるなら、ちゃんとやれって」
曲の切れ目になると新藤はバンドのなかに遠慮なくずんずん入っていって、自分より恐らくは5、6歳ほど若いメンバーに声をかけた。唐突に乱入してきた男の先輩面に唖然とする彼らを尻目に、新藤は自分のギターをケースから出してアンプに繫いだ。そしてボリュームを目一杯に上げる。
「ほら、やるぞ。曲は適当にやるから、ついてこいよ。分かるだろ」
新藤のかき鳴らしたギターの音はバカでかく、ワンフレーズで周囲の空気が震えた。行き交う人々の注目が一気に集まる。それを気にも止めず、新藤はただギターを弾き続ける。
「……人々がよそよそしい。それは君がストレンジャーだから……君が誰からも必要とされなければ、その街角は歩きづらい」
まずボーカルの女が新藤のギターに合わせて歌い出し、それからおずおずと気弱そうなベース、それからシンセサイザーが加わった。前曲からの流れで選んだナンバーだったが、やはり持ち曲の一つだったらしい。演奏は大いに盛り上がった。曲が終わる頃には、新藤たちを中心として人だかりができていた。雑居ビルの窓を開け、そこから観ているオーディエンスもいる。
「ウソだって思ってるんでしょう。私が欺してるんだって思ってる。それでも君にこう告げたのなら……」
間髪入れずに次の曲に入った。ボーカルの女と目が合って、次に何をやるべきなのか、新藤は瞬間的に理解した。他のメンバーたちも今度はためらいがない。バンドとして大きなグルーブ感が生まれていた。
「こっちに来て。心に火をつけて。こっちに来て。私を燃やしてよ。この夜をその炎にくべてしまえばいい」
神経症的な繊細さを滲ませながらも、どこか艶めかしい歌声。ボーカルの女は、ブレスの合間に新藤を見つめる。その声と同じようなエフェクトを、彼女の瞳から強く感じた。新藤は蕩けそうになった。その一瞬で着火してしまった。そこからは無我夢中。新藤はいまだ童貞だった。バンドを囲む人だかりはさらに増え、熱量がさらに高まっていく。新藤はアンプのボリュームをさらに上げた。もはや爆音だ。
……いまおれは、こんなにも人に見られている。それはおれがストレンジだから? 人垣のなかに市塚の姿を見つけた。なんだ、そんなところにいないで、お前もこっちに来ればいいのに。新藤は思った。そのまま本能のままにレスポールを弾き鳴らしながらも、さっきまで考えていたことが脳裏をよぎった。……本当にストレンジなのは彼らの方じゃないのか。この世界は本物なのか?
ここはサマーランド。ぬるま湯の天国を仮想体験しているだけ。その可能性は捨てきれない。おれは気づいてしまったのかもしれない。
……だとしても、それがどうした。とにかくいまは音を鳴らしてやれ。その予定調和に飽きたのなら、それを壊すようなデカい音を。おれはまだまだ弾ける。それで駄目なら、次の街、次の世界におれは……。
「いますぐ演奏を止めろ! いい加減にしないか!」
人垣を割って、何人かの警官が近づいてくる。彼らは同じ制服を着ていて、それぞれがまったく同じように見える。天国のような世界にも警官はいるのだなと新藤は思った。彼らはおれのための世界で、どんな役割を果たしているのか。きっとなにかに必要なのだろう。
バンドのメンバーは警察の介入に明らかに動揺して、演奏を止めてしまった。無理もない。彼らはまだ若い。新藤は先輩らしく後輩を慮る。
「いいから、お前らはもう行けって。そのまま撤収しろ。あとはおれが引き受けるから」
「……でも」
「いいって。さあ、早く。行けって」
「すいません。ありがとうございます」
バンドの連中は素早く撤収した。しかし新藤だけはその場に残り、ギターの演奏を止めない。放置されたシンセサイザーからは機械打ちのドラム音だけが出力されている。それに合わせてレスポールをかき鳴らす。まったく孤独のジャムセッション。やっぱりこんなのより、生音のドラムでやる方が断然いい。改めて考えてみると、あいつのドラムはなかなかイケてる。……市塚も、そこで見てないで入ってくればいいのに。ドラムがなくても、なにかその辺の物を叩いたらいいじゃないか。そうか、なんならおれが具現化させればいいのか。ちょっとイメージするか。……いやしかし、それにしてもさっきのボーカルは可愛かった。あれは絶対おれに惚れた。間違いない。また具現化しないかなあ。痩せて見えたけど、きっと意外に胸も……。
「……いい加減にしろおおおお!」
突如として悪鬼のように怒り狂った警官の一人が、新藤の頭めがけて警棒を振り下ろした。それで頭蓋骨が粉砕され、血液と入り混じった薄いピンク色の脳漿がその場に撒き散らされた。市塚はオーディエンスのなかに紛れて、それをただ見ていた。いつものように曖昧な表情のまま。
◇
「……起きてください。すいません、もう降りるんじゃないんですか」
いつの間にか眠ってしまったらしい。新藤は誰かに揺り起こされた。電車は、町田駅に停車していた。たしかに自分が降りる駅だ。もう小田急線は終電が近い時間のはずだ。降りそこなえば面倒になる。自分はすぐに異界に巻き込まれてしまうのだ。その自覚があった。
「あ、ありがとうございます」
「いえいえ。せっかくログインし直したんだから、気をつけて」
親切なその男に礼を言った。彼は勤め人らしくスーツを着ている。酒がまだかなり残っている。思考と足取りが定まらない。新藤はなんとか電車を降りた。駅から歩いている途中で、さっきの言葉を思い出した。
——「ログイン」って、なんだよ。
さっきの男は自分と同じくらいの年齢に見えた。どこかで会ったような気がするのだが、よく思い出せない。その男からはアルコールと、なにか生臭い匂いがした。彼もどこかで飲んできた帰りだろうか。それから新藤はたまらない不安に陥った。新藤はニートだ。夕方に家を出るときまで実家の部屋の居心地は悪くなかった。……しかし設定が微妙に変わってしまったかもしれない。このまま家に帰るのが、とても怖い。
了
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