目撃、万引きGメン犯人確保 【前編】

つい先日、都内S駅近くをぶらぶらと歩いていた。そこで異様な光景を目にした。

若い男が、妙齢女性の腕を強く引っ張っている。腕と肩まで掴まれた女性はそれに抵抗して「なんでー、なんでよー」と声を上げている。

その場所は、線路沿いの通りを横に入った日の当たらない裏路地のようになっていた。だからパッとその男女が目に入ったとき、まず痴話喧嘩だろうと瞬間的に思った。そんな場面にはもちろん関わりたくないのだけど、つい目がそこにいってしまう。構図的には若い男が女性を無理やりにホテルかそれに類する密室に連れ込もうとしているように見えた。でも下手するとけっこうヤバい感じなのかもしれない。通報は市民の義務だっけ。気が進まない。しかしその前にまず本人たちに事情を聞かなくてはならないような。それも気が進まない。なんとも厄介な場面に遭遇してしまった。

この若い男は尋常ならざる熟女好き。いかんとも御し難い春先の性欲がよく晴れた休日の昼下がり、暴発寸前まで昂ぶってる。なんとしてもこの中年女性を密室に連れ込んで何度でもしたい。そうしなければ気が狂う。パンツが食い破られる。したいしたいしたい。いますぐしたい。しまくりたい。熟女とじゅくじゅくしたい。

そんな状況設定とストーリーが、いつの間にやら私のなかで固まっていた。そんな状況にはやはり関わりたくない。もっとスマートに誘ったらいいだろうに。そこまで熟女が好きなのだったら、ちゃんと手順を踏めよ。そんな誘い方じゃ嫌われるのは当たり前だ。私はすっとそこから目をそらし、このまま気がつかないふりをして通り過ぎようかと思った。

「あ、なんだあれ」

少し遅れてついてきた妻が、その光景に気がついてしまったらしい。
「あれは熟女好きの男が無理やり性欲を発散しようとして拒否されてるんだよ。よくないね」と妻に説明しようとしたところ、

「あ、すいまっせん、あの、ちょっと、いい、ですかっ?」

なんとしたことか、熟女好きの男がこちらに話しかけてきた。
妻の「なんだあれ」という遠慮のない真っ直ぐな視線に気がついたらしい。女性の肩と腕を押さえながら、息も切れ切れになっている。

「はい。なんですか?」

男の言葉にすぐ反応する妻。面倒なことになりそうな気がした。その男が女性に抵抗されることを理不尽に思っていて「……ね、おかしいですよね? 客観的に判断して、やっぱりここはホテル行くべきですよね」なんて第三者の意見を求めてくるサイコパス野郎だったらどうするんだ。

「……んで、もらえますか? そこの」「なんでよー、ねえ、なんでよー」

男の言葉は途切れて聞き取りにくい。そこに女性の声がかぶさるから、余計に分からない。妻は「なんです? ちょっとよく聞こえない」と言いながら、どんどんその裏路地の方へ近づいていく。
「いや待て待て」と私も妻の後を追わざるを得ない。

この若い男は一見して凶暴には見えないが、じつはヤクザの使い走りをしている。いまからこの女性を密室に監禁して猥褻な、そして大変にえげつない動画の撮影に及ぼうとしているのだ。女性は一旦はその撮影に同意して前金も受け取っていた。……だから道理はこちらにある。これは契約に基づいた商売だ。あっしらの世界じゃ、ごくごく真っ当な部類のな。すまねえが、そこな堅気の方々に願います。すぐそこのビル二階に事務所が入っている。そこに控えているアニキ分を呼んできてくんな。礼は弾む。仁義も通す。どうでい。

……と、そんな状況なのかもしれない。私の頭のなかで第二のストーリーラインが組み上がった。
いやいや余計に面倒だ。礼も仁義もいらない。ただただ関わりたくない。ヤクザの事務所に足を踏み入れたくもない。
しかし妻はぐいぐいと彼らに向かっていく。妻ひとりだけデンジャーゾーンに近づけるわけにはいかない。仕方なくその後を追う。

「なんでよー、えー、おかしいよー、ちがうよー」「……す、いません、すぐ、そこの、スーパーの人、呼んで、もらえますか」

かなり近づいたので男の声がはっきりと聞き取れた。「すぐそこのスーパーの人を呼んでくれ」と彼は言っていた。さらに続けて、

「んびき、です。ま、ん、び、き」

え、まん……? なんだやっぱりエッチな……。
じゃなくて、そうか「万引き」か。そこで私はようやくピンときた。

若い男は万引きGメンだ。女性の万引きの現場を押さえ、スーパーの出口で声をかけたが逃げられそうになって追いかけ、やむなく手を掴んでその場に抑えている。

そういう状況だったのか。瞬間的に私は理解した。しかし万引きGメンなんて職業が、テレビの密着番組とかサスペンス劇場とかではなく現実に存在することに驚かされた。

「え? なんですか? 警察、警察呼びましょうか?」

「万引き」という単語が聞き取れなかったらしい妻が、警察への通報を提言している。Gメンはとにかくスーパーの人を呼んで欲しいのだと思うのだが、妻のその提案にも「あ、え、はい。お願いします。通報、してください」と答える。
そのやりとりが耳に入ってか、取り押さえられている女性はより一層激しく喚き出す。しかし言葉のレパートリーが少ないのか「なんでよー、おかしいよー」と同じようなことを語尾を伸ばす独特な抑揚で繰り返す。どうやら彼女は中華系だ。その表情は必死。そしてやはり逃げようとしているらしい。Gメンは「なにいってんだ。おかしいのは、あんただろう!」と、ここにきて威勢がよくなった語調で彼女を責める。我々という援護を得て、その正義が再確立されたのであろうか。
しかしまあ、通報まで我々がする必要はないだろう。最初にGメンが言った通り、スーパーの人間を呼べばそれでいい。後は知らない。妻にそう告げようとしたとき、

「あ、いまS駅近くの路地にいるんですが、喧嘩? じゃないか。とにかく男の人と女の人が組み合って、女の人が逃げるのを止めようと……あ、凶器? 凶器はいまのところ持ってません。とにかく、すぐ来てもらえますか」

すでに妻はスマホで110番通報していた。妻は素早い。そして状況も把握したらしく、私に向かって、

「早く、スーパーの人呼んできて」

と指示を飛ばしてくる。しかし私は妻を残してこの場を離れることに一抹の不安を覚えていた。

「じゃあ、君が呼んできてよ。おれはここにいて……」

「いや、だって警察呼んだの私だし。私がここにいた方がいいでしょ。早く、スーパーまで走って!」

妻がこうなると、その意見を変えさせることは困難だった。絶対的な確信を持って妻は私に使い走りを命じる。
私は納得できない気持ちを抱えながらも、いつもの習性に流されるようにその場を後に、路地を出て少しの所にあるスーパーへと駆けだした。
いつもながらの暗愚な夫として妻に言われるがままに走りながら、ある疑念がわき上がってきた。

あの若い男は、本当に万引きGメンなのだろうか。やっぱり万引きGメンなんて職業、実際には存在しないんじゃないか。

その場にひとり残された妻のことを思うと、不安が胸にわき上がってきた。

つづく


いいなと思ったら応援しよう!

民話ブログ
お読みいただき、ありがとうございます。