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わたしの故郷

わたしが生まれ育った故郷、高知県。
改めまして、わたしってやっぱ高知が大好きじゃんってお話です。笑


高知出身なんです、って言うの、何となく嬉しいというか、ニマニマしちゃう感じ、昔からあったのですが、一度立ち止まって改めて故郷のことを考えると、わたしのスキがたまらんほど詰まった場所だったことに気がつきました。

「高知県出身」と言うと、だいたい「どこ?」「カツオ」「ぜよ」みたいなワードが返ってくる、四国の南側にある山あり、川あり、海あり県です。
あまり目立った県ではないものの、自虐あり自慢ありで、自己紹介はこれだけで割と話が盛り上がるのが嬉しかったり。

大学生から県外へ出て、流れに身を任せたここ数年で、何だか転々と引っ越しを重ね、いくつかの土地で住んできました。
新しいもの、人、価値観などが日々行き来する都会には、新鮮さや出会いが多くあり、その魅力に惹きつけられている今があります。
それじゃあ、都会にない、田舎の魅力って何でしょうか。


わたしが生まれ育った街は、高知県のいの町というところ。
本当に青くて透き通る、仁淀川という川が街のシンボル的存在です。
夏には河原にキャンピングカーやテントが並ぶ、観光スポットでもあります。
買い物に行けるスーパーは1つ。中学生くらいの時に、自転車で行ける距離にできた、やや大きめの複合施設は感動的でした。笑

一通りの自然はそろっていて、遊びがそこから生まれる。まさにそんな場所です。
保育園に通っていた頃、早起きができたら数珠玉を母と取りに行くのが日課でした。稲のような茎の先についている実のようなもの、お手玉の中身になるやつです。
田んぼ沿いの用水路を通るので、季節の移り変わりはすべて自然が教えてくれます。おたまじゃくしが泳ぐころから、稲の成長とともに、だんだん足が伸びてきて、半分カエルへと、そしてジャンプするおとなガエルを追いかけるまで。ホタルの卵から光を放つ日まで。青虫のサナギの抜け殻が、チョウの飛び立った跡だと知るまで。
サワガニを取りに神社裏で友達と待ち合わせ、丸い苔の葉をお金に見立ててお店屋さんごっこ。服にくっつく葉を名札にしたり、ノビルの根っこを飛ばして競ったり。
とにかくキリがありません。

ゲームもあったし、テレビもあったけれど、それよりも楽しいワクワクが目の前に散りばめられていたのだなぁと振り返ります。


そして、母の故郷がある中村が、さらにわたしの大好きな場所でした。
四万十川で有名な地域です。

市内からも車で3時間ほど、崖が崩れそうな山道を上った山の上に曽祖父母の家はあります。今でこそ高速道路が通り便利になりましたが、かつてはもっと遠かった。。。
そこにはとうとう、スーパーすらありません。
山道を入っていく段階で、通る家々のおじいおばあが顔を出します。
「どこの子が来たがで〜?」(誰の家族が来たのかな?的な悪気はない挨拶笑)
よそ者は、すぐにバレます。
でも、そこの孫だとかひ孫だとか言うと、だいたい名前を覚えてくれていたりして、大歓迎を受け、そのまま各家に迎え入れられます。
なかなか本命の家には辿り着けません。笑

夏休みなどを過ごしたそこでの日々は、太陽の光で目を覚まします。それで覚めなくても、セミの大合唱で起こされます。
裏山を流れる山水で顔を洗って、畑から野菜を拭いて台所へ。ほとんど畑から取れた朝ごはんを食べたら、子どもは川へ。おじいは山へ。おばあは洗濯へ。
昔話みたいになりましたね。笑
川では魚、かに、エビをガチで捕らえます。これ、本気。なぜなら昼のおかずがかかっているから。
バケツがいっぱいになったら、担いで山を上がって戻る。
生きたまま鍋へ。この時は、ほんとにごめんねって思います。
そしておなかを満たしたら再び川へ。
本当にこんな日々なのですが、どうにもこうにも楽しくて、飽きないのです。
時間がかかったり、遠回りしたりすることさえ、冒険と興奮に満ち溢れます。


だいぶ熱く語ってしまいましたが、わたしはこんな田舎のこんな生活に、魅せられ、育てられ、教えられてきました。
何度でも、かならず巡ってくる季節。人間がどんなに手を加えたり邪魔をしても、生まれて育ち、枯れていくを繰り返す草木。その偉大さや寛容さに、震えるほどの尊敬と感謝を覚えます。これは、今でもどこにいても変わりません。


植物も動物も、水や空気も、今という同じ瞬間を生きていて、混ざり合うわけでも攻撃し合うわけでもなく、ただ、そこに共に存在しているということ。
こう感じるとき、とても自分自身が浄化され、潤いをいただいているような気持ちになります。
揺るぎようがない心地よさが、そこにあります。


そんな故郷があることに、感謝でいっぱいです。


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