「怖さ」の探究
なんでか、怖いって感情にたどり着くんだなぁ。
「わたし」を考える日々。声を聞く時間をつくる日々。
その中で分かったこと。
なにかと「怖い」って思ってるとこにたどり着く。
イライラしたり、恥ずかしかったり、ネガティブなわたしのその向こうには、いつも「怖い」がいる。
対人関係において、わたしはなにかと恐れているらしい。
自分に負の感情が向くことが怖いし、
ひとりぼっちになるのが怖い。
相手と意思疎通ができなくなることが怖いのかも。
リアクションが返ってこなかったり、
感情的になって、論理的に思考の交換ができなくなったり。
うーーん。
なんでそれが怖いのか。
自分の存在意義が、ぐらっと揺らぐ感じ。
他者がいて、
投げたボールがちゃんと返ってくる安心感。
それがすっぽりなくなるみたいな。
向こうの壁にちゃんとあたって
跳ね返ってくることは、
そのボールを投げたわたしとか
跳ね返ったボールを受けるわたしが存在してるって確かめられること。
透明じゃなくて、透けてなくって、
ちゃんとわたしがいるって感じられる。
そんな感じ。
わたしって、からっぽなんかも。
ちょっとそんなふうに思った。
他者の存在を利用することでしか、
自分の輪郭を確かめることができない。
だから、怖い。
怖いから抜け出してみたい。
びくびくしないで立ってみたい。
どんなボールが返ってくるか
いや、もしかしたら返ってこないのか
受け損ねたらどうしようか
そんな臆病なわたしを手放したい。
なんでわたしは空っぽなのか。
存在意義ってなんなのか。
「怖さ」と友達になる方法はあるのか。
もう少し時間はかかりそうだけど、
探究を続けてみようって思えるいまの自分が
ちょっと好きだな。
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