はばたき
できるかどうかではなく、楽しいか、やりたいか。
昨日Ryo室空間、いつも通りの暖かい空気の中で、学びの多い時間を過ごさせてもらいました。
19歳のとき、わたしは何をしていたかなぁと考えながら聞かせていただきました。
大学生ユーチューバーの羽飛(つばさ)くんの、これまでの生き方、これからやりたいこと。「有名になりたい」「自分のことを知って欲しい」という素直な言葉の向こうには、家族をはじめとしたたくさんの方々への感謝と、社会はもっと生きやすく、楽しみやすくなるはず!という、強い思いを感じました。
学生の頃に「変わりたい!」と思っていた時期があり、自分の中でのタイミングをきっかけに、自分を変える一歩を踏み出したという彼。
容姿から考え方まで、明るくなりたいと思って振り切ることって、ただ思っていることと実際に思い切ることの間には、かなり大きな段差があると感じてきたわたしです。
「これというきっかけってなんだろう…」と言っていた彼ですが、きっと、今だ!という大きなエネルギーと、勇気や好奇心にあふれていたつばさくんだからこその一歩だったのではないかな、と感じました。
オンラインイベント後に、さっそくいくつかYouTubeを拝見。
そこには、できるかどうかではなく、やってみたいからチャレンジしている彼の姿がたくさんあり、なんだか見ているだけでパワーをもらうような気がします。
生きづらさや困難さを乗り越えるために努力すること、新しいチャレンジに向けて踏み出すこと、自分の想いを持ち続けて貫くこと。
どれも、障害があるかどうかや年齢とか性別とか経歴とか、そんなことはぜんぜん関係ないんだなということを、今日は改めて感じました。
それらはどれも、他者と比べて、何かと比較して考えたあとの結果だから。
障害があって、健常者より大変なのに、っていう前提から生まれる、なんだか気持ち悪い、ヘンな感覚。それは、情けや気の毒に思うことと同じ感覚。これは優しさでも配慮でもないと思うし、そうじゃないって感じる。
自分と比べるわけでもなく、誰かと比較するわけでもなく、その人の姿を見つめるって、けっこう難しいけど、やってみるとクセになるし、何より自分が楽になるような気がするのです。
困難さや苦手と感じること、嫌だって思うことや耐えられないことは、人によってちょっとずつ違う。
美味しい辛さと食べられない辛さ、痛気持ちいいマッサージと飛び逃げちゃう足ツボ、やみつきになるジェットコースターと二度とやりたくないバンジージャンプ…物事にはグラデーションがいっぱい。
その紙一重の境目がどこにあるのかを考えてみれば、絶対に全てが一緒の人なんかいないことに納得できるなぁと思います。
つばさくんのはばたき、これからの社会を見つめるまっすぐな気持ちを応援しつつ、わたしも、これからを生きる一人として、進んでいきたい気持ちになりました。
ステキな時間を、ありがとうございました。
YouTubeチャンネル『つばさの翼』