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ウオバレ様
この会社に入社して四年目。昔、うちの会社の給湯室で、女性が自殺した。そんな噂を聞いてから四年たった。だから、うちの会社はオフィスの家賃が安くて、このビルのこの階から移転しないと聞いた。確かに、ビルに入っているうち以外の会社はそこそこ名の知れた会社ばかりだ。明らかに異質なうちの会社。しかし、四年経っても、給湯室で不思議な目にあったりはしていない。初めのうちは少し怖くて、一人では給湯室に行かないようにしていたし、そもそもあまり給湯室に用事もない。他の社員からも、心霊的な目に遭ったような話も聞いたことがない。実害はまるでなかった。
今日はたまたまだった。お弁当の箸を落としてしまった。給湯室に洗いにいったのだ。給湯室に入ると、目の高さよりも少し高い位置にある戸棚に、口が結ばれたビニール袋が置いてあった。コンビニでもらう小さな袋くらいで、生ゴミだと思った。ひどい匂いがした。キッチンの三角コーナーを全然掃除しなかった時に嗅いだ匂い。
清掃の人が捨て忘れたのだと思った。袋を持つと見た目よりも重く、水分が多く感じた。後ろにあった燃えるゴミの箱に入れた。ゴミ箱の中は何もなく、底に当たるとどちゃっと音がした。
「んん・・・・」
ゴミ箱の中から、呻き声のようなものがした。ゴミ箱を覗き込むと、先ほどの袋しかなかった。気のせいだと思って席に戻った。
午後四時。定時まであと二時間。疲れて、ぼーっと時計を見ていたら、隣の席を外していた富田さんが戻ってきた。
「長谷川さん、給湯室に忘れ物ありましたよ」
そう言って、私の机にさっき捨てた袋を置いた。富田さんは普段とは違う、ガサガサした低い声で言った。知らない人のようだった。目の前に置かれた、さっき捨てた袋から目が離せなかった。なぜ、この袋を?富田さんは席に着くと、仕事を再開するでもなく、ただ前を見て座っているだけだった。
「富田さん、これは、」
「え?」
富田さんは、普段の高い声で、こちらを向いた。袋を見て、明らかに顔が引きつった。
「ごめんさない、捨てたのに、なんで・・・捨ててきます!」
富田さんは慌てて袋を持とうとしたが、袋を落とした。
どっ、びしゃあ。
鈍い音と液体の音。灰色のカーペットが敷かれている床に、赤黒い液体と鼻をつく匂いが広がった。
「んん」
袋の中から声がした。
富田さんは顔が真っ青になっている。他の人たちも寄ってくる。ざわざわと人の声が聞こえる。その中で誰かが、ウオバレ様だと呟いた。おい、やめろと誰かの声がした。
「何をしているんだ、仕事に戻れ」
部長が来て、他の人たちは席へと戻っていった。富田さんは震えて、動けないでいたが、失敗した、失敗したと呟きながら。袋の中の何かは少しだけ動いていたように見えた。ウオバレ様と呼ばれた何かはてかてかとした、真っ白くて丸い個体だった。床に広がった液体はその個体からは弾かれ、少しも赤黒くなっている部分はなかった 。
「富田さん、捨てたってどいうこと?」
「すみません、すみません、うまくできなくて、失敗してしまったので、」
部長と富田さんの会話の内容が全くわからない。部長はため息をついて、富田さんに今日はもう帰りなさいと言って家に帰らせた。富田さんも素直に従い、というよりも従わざるを得ないと言った感じで血の気の引いた真っ青な顔で無言で帰った。
部長はぶつぶつと何かを呟きながら、袋の中のものを大切そうに両手で救うと、給湯室へ向かっていった。ついていくと、部長は白い何かを台の上にのせ、手を合わせながらお経のようなものを読んでいた。見てはいけない気がして、私は席に戻った。
その日は誰かに、あれが何だったのか気になって仕方がなかったが、ひどく疲れてしまい、定時ぴったりに帰宅した。目の奥がじわじわと痛く、足が重かった。まるで、あの白い物が足にまとわりついているような。
次の日、富田さんは来なかった。そして、夕方、富田さんが亡くなったと連絡がきた。自殺だそうだ。出勤してから、ずっと気にしないようにしていたが、足元に置かれている紙袋が動いた気がした。
「今度は長谷川さんの番だね、気をつけて、機嫌を損ねてしまうと自殺してしまうよ」
先輩は面白そうに言った。この時には、私はもう考えること、調べることを放棄していて、気をつけます、と乾いた笑い声を漏らしていた。
机の下、足元に置かれた袋の中から、「んん」と聞こえた気がした。
今度は私の番なのだ。