死にたいと思えば思うほど、苦しみや痛みを感じるほど、生きてることを実感する
死んだら誰が泣いてくれるんだろう
初めてそう考えるようになったのは小学校中学年の頃。
自分の親はなにかあって叱るとき長々と説教をするタイプだ。途中で口を出そうものなら反論をされ、余計に怒らせることになるので、ただただ親の気が済むまで耐える。この時間は苦痛でしかない。説教をされた後はいつも一人になる時間を作り、その度に、いうことをきいていれば、なんてことよりも自分がいなければこんなことにはならなかったのに。と”自分”という存在そのものを責めるようになっていた。そのときふと思ってしまった。親以外に私の味方をしてくれる人はいないのに誰に頼ればいいんだろう、と。
親は私のことを好きじゃないんだ。だから私は1人ぼっちなんだ、と。
するとどんどん悲しさと寂しさが押し寄せてきて声をおし殺すようにして枕を濡らしていくのだった。
幼稚園の頃や小学生の長い休みのときには、いとこの家に遊びに行くことがよくあった。もちろん、その時にいとこが怒られることもある。しかしその最後は違っていて、いとこの親は子どもに対して優しく接するのだ。怒られたからと機嫌を気にする必要はない。
寝る前もおやすみのハグをする習慣があった。
子どもながらにうらやましいと思った。
怒られないように人の機嫌や感情を伺って生きるようになったのもこの頃からで、癖になっている。
ODもしないリスカもしない、でも精神状態は不安定。
保健室の先生とは仲良くなれない。教室に居るのが嫌で保健室へ行く友人。
強いよね、と言われた。そんな中学生活。
その子からは強く見えたのかもしれない。でも自分は思っているより強くない。むしろ弱い。すぐに感情があふれてしまう。
人間関係を構築したりするのはあまり得意ではない。
仲が良くても深入りはしない程度でいいと思っている。学生の頃は不思議と毎年のように仲の良い子が変わっていてずっと安定して仲がよかったという子がいない。
友人に会うためにと学校に行っていた小中学生活、高校では仲の良い子と折り合いが合わなくなってしまったことに加えて様々なことが重なり不登校を経験するも卒業の資格が欲しいからという理由だけで転校し友達なんていらないからと、通っていた高校生活。
専門の時は、個の集団という感じなので意外と居心地はよかった。
就職し、新しい出会いがなくなり遊ぶことが一気に減った。会社をやめてバイトしても仕事の最中は趣味があったりしてよく話すが、遊んだりということをする人はできない。
どうせ浅い関係だ。友達だと思っている相手はこちらのことを友人だとカテゴリに入っているのかはわからない。
夜に自己嫌悪して現実世界に嫌気がさしたときは2chのオカルトまとめスレをよく見ていた。異世界への行き方、パラレルワールド、思考実験などなどとにかく現実から逃避できそうな方法をよく調べていた。
結局、どの方法も成功せずに今に至るわけだが。
夜に眠れないのは「今日という日に満足していないから」という理由というのがしっくりきた。だから、寝たくないと無駄にあがいてしまうことになる。
今までで一番精神が安定していなかったときがある。就職してからしばらくのこと。
電車のホームで電車側にふらっと吸い寄せられたことがある。
次の日にはもうなにがなんだかわからなくなって仕事に行こうとしたとき自分の首を絞めていた。
締めながらやっぱり泣いていた。その日は仕事を休んで数日して精神科へと向かった。
「うつ症状のある適応障害」と診断され休職をした。それから今まで病院を変えながらではあるが精神科に通い続けている。
あるとき、病院に行くのを勝手にやめてしまい薬が途切れて一睡もすることができなかった。1日だけならまだしも2日続けて眠ることができなかったときがある。そして泣きながら笑っていた。限界が来てた。自分では感情をもう抑えきれなくなっていたのだ。
眠れないことがこんなにもつらいのだとこのときはじめて知った。
そのとき以来睡眠薬をもらうようになって、いまだに睡眠薬がないと眠れないことがある。
以前、死にたい病(※)にかかって精神的に落ち込んでいた時にTwitterでこんなリプライをもらったことがある。
「感受性が強く繊細で、生きることに真面目というか真剣なのでは?」
というもの
リプライをしてくれた方も似たような精神状態になったことがあるらしくこの言葉は空白だった場所の埋まらなかった部分にピースがはまったかのように納得がいって余計に涙が出たことがある
※死にたいとは思うがどちらかというとなにもかもを投げ出していなくなってしまいたい消えてしまいたい的な意味が強い
それもそのはずで、生きたいと考えなければ「死にたい」なんてそもそも出てこない。
amazarashiというグループを知ったのはここ数年のこと。きっかけは覚えていない。
amazarashiの曲の中で「僕が死のうと思ったのは」という楽曲がある。
タイトルだけでもインパクトがかなりある。
そもそも「死」をテーマにした曲というのは難しいのではないか。と、私は思う。
人それぞれで「死」に対する価値観や思考が違いかつ人の心の闇の部分に触れるものだから。が大きな理由
曲を聴いているだけのときでは共感こそしたが、感情が入るということはなかった。でも一人でカラオケに行ったときにこの曲を歌い、歌詞を言い聞かせるという行為をすることで共感だけだったものが自分の悲鳴へと変わり
部屋の中、1人で涙を流していた。
愛されたいと泣いているのは 人の温もりを知ってしまったから
最初から知らないほうがよかったこと、失ってから知ることがある
愛され方なんて知らないけどきっと愛されるってこういうことなんだなと
知ってしまったらもう知らなかった頃には戻れない
死ぬことばかり考えてしまうのは きっと生きることに真面目すぎるから
死ぬことを考えたりする人って、現実の世界で出会うことはあまりないし、大々的にこんな話をすることも機会がなければ基本的にないだろう。
そもそもこんな話を聞いてくれる人がいてくれるほうが特殊なのかもしれない。
今は前よりも落ち込むことが減ってきた。
時間が解決してくれたのだと思う。
最初はなにもする気になれなかった。ひたすら何もせずにぼーっとしていた。テレビも見ない。スマホもほぼ見ない。何をしてるのかほんとうにわからない時期。食欲もほぼなくて、食べることも楽しめない。
そんな時期を過ごしてからは、無理のない程度にバイトを始めたりブログを始めたりもした。あまり稼ぐことはないけれど変化のある生活というものができた。
いまだに
「何のために生きるのだろう」
と考えながら日々を過ごしている。
ちょっとした自分語りになってしまったけど、誰かに届いたらいいなと思いこの記事を書いた。
まだたまに死にたいと思うことも正直ある。薬だっていつまで飲むんだろうとかまた精神的に落ちることあるんじゃないかとか。悩んでしまう種がきっと今の生活が不安定だからで、収入増やすためにはどうしようとか人脈広げるにはなにしたらいいんだろう、やりたいことやるためにどう行動をしようかとか考える。
これまでなんとなく生きてきたのだから、まだしばらくなんとなく生きていくのかな。