2021/04.19の日記から「生きることに対して真面目すぎると言われても」
自分のことをすぐにダメ人間だと思ってしまう癖がある。
何も生み出すことができないのなら価値など無いのだと。
0か100でしか物事を考えることができない。
どうしてこんなにもネガティブなのだろう。少しくらいいいところだってあるはずなのに。とは言いつつ、特に思い浮かぶものもないわけだが。
なんのために生きているのか、楽しそうに生きてる人達を見るたびに感じる
自分に関するすべての物事がつまらない。
あえて、楽しいと思えることを挙げるとしたらなにかを書いたり作ったりしているだときだろう。しかし、それさえできなくなったら?
私には生きる意味がなくなってしまう。いないも同然の人間。
人としてくらべてばかりで自信がない。
だが果たして、評価されたところで満足感は得られるのか。そもそも評価ってなんだ。多くの人にいいものだと思ってもらえるもの?
そんなものを欲しているのか。埋まらない穴がある理由はきっとそうではない。
私が作ったものに感銘を受けてくれる人が1人いてくれたら、それでいいんじゃないか。そんな風に感じる。たった1人でいい、その人のために作られたもの。特別で世界にひとつだけの作品。
感動とは「感じて動く」ものだといつか先生が言っていた、感じるだけではなく、動いて初めて感動といえるのだ、と。
だからなんだという話なのだけれど、私が触れてきた様々なものに対する感動が少なからずある。
こんな素晴らしいことがあった、素敵なものに出会えたという経験は自分の一部となり消えることはない。
子どもが宝物を共有するように、私も自分の手で作り上げた作品を通して感動を共有したいというわけだ。
求めているのはきっとそこなのだろう……
今の時代、言葉以外にも多くの方法がある。
しかし、意図した感情を相手に伝えるには言葉というのは必要になってくるわけで。自分に足りているのは、表現力であり、伝えるためのスキルなのだと思う。
私が欲しいものは、目に見えるものでありながら目に見えないものでもある。一体全体何が正解なのかわからない。
そもそも生き方というものには正解すらないのかもしれない。
こんなことをいつまでもぐるぐると考え続けてしまう。これからどうやって生きていけばいいのだろう。
自分の理想としているような人間になれるのだろうか。
今だって、もがいてばかりだというのに。簡単ではないことはわかっているつもりだ。やればできると自分に言い聞かせ、延々と先延ばしにしてきた結果がこれなのだから。すぐに変化するとも思わない。私は弱い存在。
だとしても。信じられるのは自分しかいない、敵であると同時に最強の味方なのだから。弱いままでは味方についても心もとないだけだ。
それならば少しでも強くなりたい。
私を愛せるほど強く、安心できるような私に