「白線」から感じる、葛城リーリヤの可能性について語らせてくれ
■はじめに
あれこれ小難しいことを取っ払って結論から言うと、「白線」めちゃくちゃ良い曲だよね……。に尽きます。
声も容姿も、線が細くて華奢な印象を受けるリーリヤが、全身全霊で叫ぶ「愛しているよ!」の破壊力バツグンで最高が過ぎるよな…とか、細かいポイントを上げればキリが無いのですが、
本文では、「白線」というタイトルと、歌詞について深堀りしていこうと思います。
そも、彼女のプロフィールを踏まえたうえで、元気溌剌といった感じの爽やかさに振り切った、軽快なガールズロック(音楽のジャンルはまったく詳しくないので間違ってたらsry)は、かなり攻めている、と思います。
この曲をあてがった(バランスを取りにいかなかった、)開発陣のインタビューには驚きました。みんな読もうね。
さっそくですが、まず前提として、この曲のタイトル「白線」は、リーリヤがアイドルとしての「スタートライン」を切ることのモチーフ、であることは、言うまでも無いかと思います。
その「白線」を引くのは、アイドルを目指すために単身で渡航してきた彼女の境遇から、故郷・スウェーデンと、日本を繋ぐ「空」がイメージの源泉となっているのでしょう(たぶん)。
そして、このタイトルにはけして途切れない「スタートライン」を認識していれば、戸惑ったり、迷ったりしたことがあっても、いつでも立ち返って歩き出せる、というメッセージ性が込めれられていると思います。
なんなら、最初の出会いからして、「迷っているリーリヤをプロデューサーが導く」って構図なんですよね。見返していて驚きました。
アイドルとしての技術は、いっさい未経験ながらも、少しの不安と強い決意の表明。この心境は歌詞にも反映されています。
ところで、「センパイ」呼びを改めずに放置してるこのプロデューサーなんなんすかね…。
このあたりの、どこか「線」を連想させるフレーズもいいですよね。
ただ、歌詞には一切「スタートライン」という単語は出てこないんですよね。そりゃ、言い切らない方がカッコいいし…。
と、言ってしまえばそれまでなのですが、もう少し踏み込んで考えてみました。
■「スタートライン」に言及しない理由
それは、「白線」は、「始点」であると同時に「終点」も意味しているということ。
スタートラインとエンドライン、その両方が定まっていれば、不断の努力をもって、どこまでも高く飛べる意志の強さ、葛城リーリヤの可能性にあると思います。
事実、最初の出会いの時点で、リーリヤは「アイドル」になる決意を表明しましたが、プロデューサーは、彼女なら「トップアイドル」を目指すことができるという終点を明示しています。有能すぎるだろ…コイツ……。
たとえば、大きな目標は「トップアイドル」だとして、そこに至るまでの細かい積み重ね、「ひとつひとつの目標の「スタート」と「ゴール」を定義して、導いてくれる誰か」がいれば、リーリヤは道を違わずに、走り続けたのち、トップアイドルに到れる。
この曲には、そんなメッセージ性が込められていると感じました。
■おわりに
……まだソロの1曲目が出たに過ぎないんですが、そう感じてしまったのでそうアウトプットしました。
究極のところ、私は「白線」に始まって、「白線」に終わる葛城リーリヤの単独ライブが見たいんだと思います。
見たい、見たくない?私は見たい。
1曲目の白線で号泣して、セトリの最後の最後でまた白線が披露されて、最後の「愛しているよ!」で感情という感情を破壊されたい。
……ちょっと妄想が過ぎましたが、今日のところはそんなところです。
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