糸、冬。
誕生日の夜帰宅すると、玄関前にプレゼントが置いてある。
その年別れたのが誕生日前だったから、その1度きりだと、その時は思っていた。
あれから4年が経ち、今年はどうだろうな、流石にもうないだろうと思いながら、あった時の変な高揚感と武者震いを反芻して苦笑い。
今年は両手で抱えるのがやっとな、かなり大きめの紙袋が置いてある。中には綺麗に包装された箱のようなもの。中身は想像もつかない。
ひとつ、息をついて。
寒い季節だからと最初に貰ったマフラーなんてもうとっくに捨てたのに、その後継続しているこの一方的儀式の痕跡は、それが何であるのか確認することも躊躇われ、開封されないままクローゼットの片隅にしまい込まれひっそり遺物と化している。
1度、何日か放置していたら持ち帰るかもしれないと淡い期待でそのままにしていたら、お隣さんから、僕とそれを笑っていない目で交互に見られた後「ゴミなら、放置は…ね?」と忠告を受けてからすぐに部屋に持ち帰る事にしている。
部屋の中に得体の知れない遺物があって、そこで静かに呼吸している不気味さは、毒の沼で少しづつHPを削られるような恐怖があるが、確認して何が入っているかを見るのも、勇気が出ない。
僕が僕の友人なら、しまい込まないで確認もしないでそのまま捨てろと言うだろう。
わかってる。返す気持ちがもうないのなら、受け取るべきではないことも。
僕はただ、逃げているだけなんだ。
正直、付き合っていたのかも怪しかった。
アプローチは向こうからだったのに、気づけば好きが重症になったタイミングで、ずっと片思いしている本命がいるらしい、と、聞いた。
よくある話。
……なんだそれ。
それでも当時、僕なりに頑張った。消えない片思いが美しい綺麗事のまま彼女の中に陳列されているのなら、上書き出来ないまでも、僕も一緒にそれを眺める鑑賞者として横にいたいと願った。
学生時代の膨大な時間を不毛に過ごして、先に卒業した彼女に、僕から別れを告げた。
一旦受け入れてくれた彼女は「またね」と言った後、車道へ走り出て横になった。
生憎車は途切れていたし、轢かれることも無かった。ただ、自分の命を人質にするような彼女に幻滅して、既に醒めた気持ちを自覚しながら、ゆっくりと歩いて行って見下ろした。
「終わりって何で糸と冬なんだろうね?」
その問いを受けた時ぼんやり想像したのは、冬の雪籠り。暖炉のあたたかな灯りの中で老婆が糸を巻いている。しんしんと静かな雪の音。たまに重力に逆らえなくなった枝が身震いをして雪を落とす音。あとは、何も無い。静寂。孤独。
しかし絶望的な暗闇ではないイメージ。
なんでだろう、糸と冬の組み合わせは暖かいよね
彼女はその時どんな表情をしていただろうか。
新しい感染症に震える世界は、人との距離を断絶して、友人と会うことすら悪事を企てる後ろめたさすら感じさせる。
じゃあ聞くけど。緊急事態宣言明け10ヶ月後に新しい命が誕生する可能性はどれくらい高いんだろうね?家に籠れば、やる事なんて大体決まってる。人との距離を断絶した結果、逆に近くなる新しい仕組み。
世界は今日も矛盾だらけでこの状況もいつ終わるのか先が見えない。
そこまで思って終わりの文字の成り立ちを調べてみた。
糸巻に糸を巻いて両端を結ぶ様。最後まで行き着く季節の終わりである冬は、単なる終末思想ではなく、1年の終わりに万物が収蔵され、地中に種を蓄える季節でもある。収蔵されたもので空間が満たされ限界に達し、極まる事。
彼女から届く僕の誕生日プレゼントは、そろそろクローゼットの中で限界に達して極まるだろう。
その時ようやく終わるのか。僕は終わりを望んでいるのか。そろそろ結論を出す為に、今日も僕は、孤独に糸を巻く。
日常の延長に少しフェイクが混じる、そんな話を書いていきます。作品で返せるように励みます。