<南仏グラース> 香りの都 シティーツアー
現在「香りを巡る旅」で取材、調査中の南仏グラース。
本noteでは17世紀から香りの都として知られる街の、香水産業の歴史や今を紹介していますが、街のそのものはいったいどんな場所なのか?
今回は写真多めの旧市街シティーツアーを開催します。
♪ではさっそくスタート
ピンクの傘の由来
グラースの通りはピンクの傘で彩られています。
お天気のいい南仏でなぜ?と思いますが、これはグラースを代表する花の一つで、高級香料の原料になるセンチフォリア ローズのピンクに由来しています。
こちらがセンチフォリア ローズ。5月にしか咲かないことからメイローズとも呼ばれ、グラースの人たちはグラースで咲くこの花は特別な香りがする、と大変誇りにしています。
丘の中腹にある迷路のような街並み
グラースは標高300メートルほどの丘に沿ってできた街で、古い部分は13世紀にまで遡ります。小さい城壁の中に、登り坂、階段、段差などがあり迷路のよう。
小さな城壁の街はほかにもたくさんありますが、なんと言ってもここは香水の街。簡単な工場見学や調香体験のできる老舗の香水ショップ(Fragonard, Garimard, Molinard)のほか、グラースに拠点を置く調香師がお店を構えていることが特徴。
香水の他にもギャラリーやカフェなど個人の営むお店が多く、中世の雰囲気を楽しみながら、お気に入りのお店をみつけてみては。
最も明るく華やかな広場 Place aux Aires
グラースで最も活気のある場所の一つ、オゼール広場。
坂をのぼりきった城壁の北側(上の方)に位置し、たくさんのカフェやレストランのテラス席がひしめきます。
ここでちょっと歴史の話
オゼール広場では水曜と土曜に市がたちます。
市のスタンドが出ている部分、一段高くなっていますが、これは昔の水洗場を埋めた跡。
グラースが香りの町として有名になったのは17世紀のことで、地元の草花をなめし液に使った羊の皮グローブがいい香りを放ち、ヨーロッパ中の貴族の間で大流行したことにはじまります。
中世のグラース市街周辺の丘陵地では羊を放牧し、なめし皮産業が盛んで、近隣のアンティーブやニースの港から革製品を輸出していました。
豊富な水源に恵まれたことで水を多量に使う皮革産業が発達しますが、それはそのまま18世紀に主要産業が皮から香り製品に移っていく過程で、原料となる植物(ジャスミンやローズなど)栽培にも有利に働きました。
洗い場はなめした皮の洗浄に用いられ、皮産業が衰退したあとは、住民の洗濯場として使われました。
上の写真にある観光案内所が入っている建物は、バルコニーが両側の建物に比べて一段高くなっていますが、これは皮を干すために高い位置にバルコニーを設けたためです。
オゼール広場からそう遠くない、メディアテーク(図書館とマルチメディア資料館)前の広場では、かつてなめし皮の工房が集まっていました
今は広場の両側に感じのいいレンストランとティールームのテラスが出ています。
オゼール広場よりこじんまりして、ゆっくりと過ごせます。
中世の面影が色濃い大聖堂周辺
城壁内は小さく、下の方にある大聖堂から上のある方にオゼール広場へのぼるのに、寄り道しなければ徒歩で10分もかかりません。
街中は背の高い建物にはさまれるように細い通りがうねっており、日中でも日が指さず薄暗いところも多く見られれます。
また、大聖堂界隈はお店等が少なく再開発もあまり進んでいない印象です。
通りによっては痛んだ建物も多く、少し寂しい雰囲気もありますが、その分中世の趣が残り、雰囲気があります。
グラースのカテドラル(大聖堂)、ノートルダム ドュ ピュイは13世紀に建てられました。現在のファサード(教会の正面)は18世紀のもの。
シンプルな外観とはうらはらに、ごつごつした黒い石でできた内部の武骨な雰囲気に驚かされます。革命期に倉庫として使われていたのも納得。
市内のガイドつきツアーに参加した際、時間が押していたのか現地ガイドの人がルーベンスとフラゴナールの絵画があることを教えてくれず(もしくは聞き逃したのかも…)、足早に次の場所へ移動したので、見ることができずに残念。(絵画や教会内部の画像はこちらのサイトでみることができます)
エピローグ 香水の都としての誇り ふもとの景色とともに
ガイドの人が絵画よりも見せたかったのがこちら。
カテドラル横の市庁舎にある噴水を飾るレリーフ。
1855年、グラースの香水産業が近代化していく時期に設置されたもので、グラースを代表する植物、ローズ、ジャスミン、黄水仙、オリーブ、ビターオレンジ(ビガラディエ)、チュベローズが配され、香水の街として誇りが内外への表明されています。
この時期(19世紀半ば)フランスは産業革命完了期に突入し、各種産業の工業化や合成香料の基礎となる有機化学の発達と相まって、近代香水が発展していきます。
その中でグラースは原料植物と香料、香り製品の一大産地となり、20世紀前半まで香りの都として世界的な存在感を放ちます。
例えば今日でも人気のあるシャネルNo.5(1921年発売)は、合成香料のアルデヒドとグラース産ジャスミンが多量に使われた、グラース近郊で生まれた香水です。
大聖堂と市庁舎の裏手は城壁の南端(一番低い部分)になっており、ふもとの景色を見下ろせます。眺めがよく、フォトスポットとしても人気です。
かつてはここからあちこちに香料工場の煙突が立っているのを見渡せたようですが、今はもう数えるほど。工場が大規模し、より郊外へ移っています。
20世紀後半に香料業界の世界的な再編が進み、小規模や家族経営工場の多くは姿を消しました。それらを吸収し巨大化した世界的香料会社の多くは、今でもグラースに拠点を持っていますが、香料の街としての営みは市中では以前ほど感じられないのかもしれません。
しかし、グラースは現在でも香り関係の仕事に従事している人が多数をしめており、香水の街としてアイデンティティを持った市民が多くおり、そうした人たちが21世紀の香りの歴史のページを更新中です。
今後もその様子をレポートしていく予定ですので、どうぞお楽しみに!
足早にですが巡ってきたグラースの街、いかがだったでしょうか?
少しでも次に街を訪れる際や、グラースの歴史を知る参考になればうれしいです。
では、またお会いしましょう^^/
おまけ
本文に入りきらなかった観光スポットやお気に入りの写真を、駆け足でご紹介します