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雑記・2021年の7月

 時間が経つのが早いような遅いような、どちらともつかない心地でいるうちに今年の7月が終わる。

 この歳になっても毎年夏になると、夏というのはこんなに暑かったかと思う。去年の夏の疲れも抜けていないのに、というのは最近聞いた落語のマクラに出てきた言い回しだったと思うがまさにそういう気分。それから通勤路の途中で、何気なくイヤホンを外した瞬間にどっと押し寄せる蝉の声が恐ろしいぐらいやかましい。音の大きさのことを「音圧」と言ったりするが、あの大音声は確かに「圧」だ。イヤホンから聴こえる音でもって防いでおかないと潰される。

 去年の今ごろ何をしていただろうかと思ってnoteを見返してみたら、連作小説のようなものをこまめに投稿したり読書記録をつけていたりして、我ながら書くということに熱心だと思う。それだけ書いていたわりには去年と今年と比べて文章が上達したわけでもない。なぜなのか。
 ついでに紙のノートにいい加減につけている日記も見返したが今とさほどやっていることは変わらなかった。この1年間でそれなりに世間でも身の回りでも色々あったはずだが、人間そう簡単には変わらないというのを実感する。それとは関係ないが、去年のこの時期は毎週ドラマ「MIU404」を観るのが楽しみだったのも思い出した。去年の私がうらやましい。

 普段、これはという見たい番組がある時以外テレビをつける習慣がないせいか、あれほど(主に良くない意味で)話題になっていて、どうなることやらと思っていたオリンピックの開会式は気づいたら終わっていた。関心は一応あったのだけれど、それほど熱心でもなかったということかもしれない。あるいは疲れていて、見る体力がなかったのかもしれない。
 競技は少し見た。極限のところで闘う選手の姿に見惚れもする。本当のところは、選手が何も余計なことを考えず競技ができて、誰もが心おきなく熱狂できる、それが確かな中でこそ開催されるべきものだったのだろうなという、寂しさのようなむなしさのようなものはずっとある。

 ニュースを追うのにくたびれると落語を聞くようになった。5月に「昭和元禄落語心中」を読んでから落語にハマったと少し前のnoteに書いたが、漫画にとどまらず本物の落語の音源を聴いたり映像を観たりというのをここ2、3か月続けた結果、立派なにわかファンが出来上がった。
 ストリーミングサービスやら何やらで聴けるものをいろいろ漁っていて、季節外れながら「目黒の秋刀魚」を聴いたのをきっかけに、柳家喜多八さんという噺家を知った。
 渋くて格好いい声なのにやけにかったるそうな、でもなんだか愛嬌のあるマクラだななんて思いながら聞いていたのだが、気づいたら噺の世界に引き込まれていて、これが本当に面白くて驚いた。ほかの噺を聞いてみても、あの無気力感溢れるマクラを喋っていたのと、これは同じ人かと耳を疑うくらい(こう言うと失礼にあたるだろうか。もしそうなら申し訳ございません)噺は生き生きとして楽しそうで魅力的なのだった。
 そういうわけで気になって調べてみて、2016年に鬼籍に入られた方だと知った。これには相当気を落とした。できることなら一度生の高座を見てみたかった。どうも私はこういうところで絶妙に遅い。

 気を落としたついでに自分のこれまでを振り返って思うに、何かと周回遅れで生きているのかもしれないという気がしてきた。遥か昔、陸上部に入っていた時もなかなか練習について行けずに周回遅れで走っていたことを思い出す。
 それはともかくとして、もっと早く始めていれば、出会えていれば、知っていれば、気づいていれば、と思ったことは数知れない。そうしたらこんな道もあり得たのにとか、あの瞬間に立ち会えたかもしれないのに、とか。
 まあ、落ち着いてみればそんなのは私に限ったことでもなく、特に悲劇でもなく、日常茶飯事なのだ。
 さっき書いた周回遅れというのも、何と比べての周回遅れなのかよくわからない。寧ろその人にとっての然るべきタイミングのようなのがあってこうなっているのかもしれない。遅い早いよりも、何かに出会ったり何かを知ったりした時点でその人が何を考えてどうするかのほうが、現実問題としてよほど大事だと、そう思うことにする。

 先ほどの喜多八さんについて、大学時代に落語研究会に所属していて、落語を続けたいがために学生生活を延長したとか、卒業後はいったん就職したが結局落語に戻ってきたというエピソードを知った。
 噺家の方の中には、一度は社会人を経験してから弟子入りをした方も案外少なくないという。やはり周回遅れ云々を考えるまでもないらしい(何も私がこれから弟子入りして噺家を目指そうというのではない)。

 そんなしょうもない考え事をしている間に7月が終わる。

 最後に、せっかくなので夏の噺を一席ご紹介。やや長いですが。

 こう毎日暑けりゃ頭もまともに働かなくなります。

書くことを続けるために使わせていただきます。