世界で生き抜くための漢字文化について
高橋の高は「はしごだか」です。とか言う人は少なくないが、もともとは、高も髙も同じ字と考えてよいだろう。いわゆる、髙は高の俗字と言われるもので、言うなれば癖字みたいなもの。親や祖先の字に癖があったとか、役所の人が漢字を間違ったとか、本来は手続き上の問題でしかないと考えたほうが分かりやすい。そもそも、漢字の活字を作る時に、両方作ってしまったことが不幸の始まり。
分かりやすい例で言うと、令和の令の字は、伸ばすか止めるか、字体によって違う。鈴木さんでも、うちの鈴は最後伸ばすんですとか、止めるんですとか、どっちでもいい。アルファベットでいうと、Aの小文字は、a、上が出るのと出ないのは、フォントの違いでしかない。櫛の字も、フォントによっては、木へんに節になったりする。
結局のところ何が言いたいかと言うと、漢字のちょっとした形の違いを気にしていたら、国際化社会の波に乗り遅れますよ、ということ。漢字の学習はもちろん大切で、日本の伝統文化を習得することを疎かにせよということではないが、海外に行くと、日本の漢字は、中国語の漢字とも異なるわけで、些細な違いの指摘はほとんど無意味だと痛感したことを思い出す。