「探検!忠和 妖刀伝説」より無事帰還しました。
こんにちは。ミンタラ探検隊隊長の岩出です。
北海道旭川市忠和地区。その一角に、「昔々、アイヌのコタンで凶事をなす妖刀を、巨岩にささげ祈り、底無し沼に封印した」という伝説の舞台とされる場所があります。
2021年3月27日土曜日、「妖刀伝説」を、旭川のまちの成り立ちや、地形・地質等とも結びつけて紐解く探検ツアーを、大雪山カムイミンタラジオパーク構想推進協議会との共催で実施しました。
お子さんから大人まで、隊員(参加者)16名で出発、無事帰還しましたので、簡単にご報告します。
※妖刀伝説についての詳細は、以下をご参照ください。
日本遺産「カムイと共に生きる上川アイヌ」 立岩・人喰い刀岩
https://www.daisetsu-kamikawa-ainu.jp/story/tateiwa/
国立国会図書館デジタルコレクション 伝説の旭川及其附近
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1458250
1.忠和公園駐車場から出発
探検コースは、片道数100メートルほど。一部車道を横断するところをのぞけば、危険もなく気軽に散策できます。
2.石狩川の土手へ
3月の旭川。徐々に雪解けも進み、かんじきとかスノーシューとかがなくても川原の土手が歩ける季節になりました。
忠和地区は、「かわのまち 旭川」を流れる無数の河川が合流し、最後に石狩川一本に集まってくる場所です。
3.「妖刀伝説」の舞台に到着
忠和地区の閑静な住宅地の片隅に突如現れる巨岩。
アイヌ語で「イペタムスマ(人喰い刀岩の意)」、日本語で「立岩」と呼ばれるこの岩は、伝説の中で「妖刀をささげ祈ったところ轟音とともに2つに裂けた」とされています。
この立岩は、地質学的にはチャートという岩石です(またはチャートがやや変成を受けたもの)。チャートは、放散虫というガラスの殻をもった海に棲むプランクトンの死骸が深海に降り積もることでつくられます。
※チャートや放散虫についてはこちら等をご参照ください。
産総研:5億年前から生きている「不思議な生物」が教えてくれること
https://www.aist.go.jp/aist_j/aistinfo/bluebacks/no19/
深海の岩石が内陸の旭川に現在見られるのは、今から1億年以上前、北海道がまだ北海道の形をしていなかった頃に、遠方の深海底でできた岩石たちが、当時のプレート運動に乗っかってはるばる現在の旭川がある場所までやってきたためと考えられています。
4.「底無し沼」を発見せよ
巨岩の他にもうひとつ伝説の重要な要素として、妖刀を封印したという「底無し沼(アイヌ語でアサムサクト)」があります。
沼らしきものは見当たりませんが、付近には「水神龍王神社」という神社があります。明治期に和人の入植が進むと、忠和地区でも田んぼをつくるための灌漑工事が行われるようになります。ところが、何度工事をしても堤が壊れてしまうので、神主さんを呼んできて水神を祀ったところ無事竣工した、という由緒のある神社です。
神社のまわりを探索すると下の写真のような碑と謎の土管(ガスを抜くためとも、水神の通り道のためとも言われている)を発見できます。実は平成初期に埋め立てられるまで、「底無し沼」はこの地に実在していました。なお、昭和中頃の神社の社屋工事の際に沼の底から刀が出てきて、現在も水神龍王神社に納められているとのことです。
※『アイヌ語地名と伝説の岩』(由良勇,2006)や旭川市内の川村カ子トアイヌ記念館などで、沼があった当時の写真を見ることができます。
まとめ
以上、旭川市忠和地区に残るアイヌ妖刀伝説の地の探検報告でした。
1億年前のプレート運動による地形要素である「立岩」と、現在流れる無数の河川が石狩川へと集まってくる中でつくられた地形要素である「底無し沼」。ふたつの異なる地質学的な背景をもつ要素が合わさって魅力的な伝説のストーリーが生まれていることに、個人的に何とも言えないわくわくを感じます。(このあたりの詳細については追々、もしくは現地で)
旭川市忠和地区水神龍王神社周辺は、伝説の痕跡以外にも、立岩八十八カ所のお地蔵さんだったり、クルミの老大木だったり、長い時間を経て、ヒト、自然、地球の営みがつくり出した不思議な雰囲気を感じられる場所です。旭川に住む人にも、訪れた人にも、多くの人に知ってほしいし、大切にされてほしいなと思う場所です。
雪が解けたら、また違った発見がありそうです。ご興味を持たれた方は、ぜひ次回の探検でご一緒しましょう。
※ミンタラ探検隊の、最新情報、今後の探検イベントのご案内などは、Facebookページをご覧ください。
https://www.facebook.com/mintartankentai
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