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『ムーブ・トゥ・ヘブン』 命が終わる時、人は何を残したいと思うのか

第一話から「絶対いい話になるだろう」と予感させ、実際にいい話が展開される韓国ドラマ「ムーブ・トゥ・ヘブン」。サブタイトルでもある「私は遺品整理士です」からも想像がつくように、亡くなった人の人生を辿る物語だ。

遺品整理士としてドラマを牽引するのはアスペルガー症候群のハン・グルとその叔父であるチョ・サング。

サングはグルの父、すなわち自身の兄であるハン・ジョンウに対し恨みを抱いていた。が、ジョンウの死をきっかけに図らずもグルの後見人となり、グルと遺品整理の仕事を請け負うことになる。

決められた手順で決められた仕事をとことんやり抜くグルの「才能」に、呆れたり慄いたりするサング。一方で周囲を振り回すグルは、いわゆるフラットなアーク(=自分は変わらず、他者に影響を与え周囲の人々が変わっていく)な役どころで、刑務所から出所したばかりのサングが変わっていくという展開。

故人の人生を辿る旅と、グルとサングの人生が交差するこの物語、1話完結系のドラマながらも続きが気になる構成で、あっという間に完走してしまった。


1.「人生と想い」を伝えるための仲介人、遺品整理士グルの存在意義

人が「遺品整理」を頼むのはどういう時だろうか。

たとえば、「故人の所持品が多すぎて手に負えない」とか「故人のことを思い出すのが辛い」など、事情を抱えているケースもあるだろう。だが多くの場合、独り暮らしで周囲との人間関係が希薄な人が亡くなった時に遺品整理業者を使うのではないだろうか。

このドラマでもそういう故人が多く登場し、遺品整理業者「ムーブ・トゥ・ヘブン」が遺品整理を請け負う。

さて、「ムーブ・トゥ・ヘブン」にみる遺品整理士の仕事とは、故人の所持品という断片からその人の人生を想像または理解し、「故人の想い」を伝えるべき人に伝えることだ。

この仕事の本質、つまりは「人の心に寄り添う姿勢や行動」が視聴者の胸を打つわけだが、アスペルガー症候群であるグルは「他者の感情を理解できない」という特徴を持つ。
そんな彼が「人の心に寄り添う」仕事に就いているのは矛盾があるような気もするが、それは違う。

なぜなら、自身の主観や感情を排除し、決まった手順と方法、つまりは事実だけを見て故人の想いを分析するという機械的な作業を淡々と行うことこそが、「故人の想いを知る」ために重要な行動だからだ。そしてグルにはその能力があった。

その、グルのその淡々とした仕事ぶりに、アスペルガー症候群ならではの「一度やり始めたら最後までやり抜く集中力」が加わり、故人の想いが伝えるべき人に無事に届けられるという流れ。


ちなみに、グルの仕事は「事実」を客観的に提示すること。提示された事実から故人の想いを汲み取るのは伝えられた側である残された者たちの役目だ。残された者たちは、グルから届けられた故人の所持品によって、故人に抱いていた様々な感情が呼び覚まされ、故人の人生や故人と自分の関係に思いを馳せる。
そしてそれは真の意味で故人を弔うことに他ならない。


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この、一見相容れない、「人の心に寄り添う」仕事を「他者の感情が理解できない」グルが行っていることが、「ムーブ・トゥ・ヘブン」の物語としての面白みを増幅している。

それに加えて、グルの「遺品整理士」としての存在が、孤独に死を迎えた故人の人生を、意味のあるものにしているという安堵感をもたらし、視聴者の胸に染み入るのだと思う。

つまり遺品整理士グルは、故人の「想い」を伝える仲介人として意義ある存在なのだ。


2.命が終わる時、人は何を残したいと思うのか

このドラマを鑑賞し、自分が死んだ後のこと、要は遺品整理について考えた。

私の所持品は私にとっては価値あるものでも、他者からすればきっとそうではない。

天井まで届く大きな本棚2つ分ある大量の本、クローゼットにぎゅうぎゅうに収納されているお気に入りの服、撮りためた写真、描いた絵、じっくり選んで購入した家具、見ているだけで楽しい気分になる食器、そして年代毎の思い出の品々。

これまで何度も断捨離してきたのである程度身軽になっているはずなのだが、こうやって所持品を挙げ列ねただけでも、その量の多さに驚く。

ともあれ、このたくさんの所持品の中で、「私が残したいものは一体何だろう?」と考えてみた。あるいは「私の人生を象徴するものや大切な思い出は何か?」ということも。

そしてそれはすなわち、どんな風に自分を記憶していてほしいかを考える事と同義だとわかった。同時に、私を憶えていてほしい人は誰なのかということにも気付かされた。



当たり前だが、人はそれぞれにそれぞれの想いを抱いて生きている。
だが、もしかするとそれら「想い」の多くは、様々な事情によって届けたい人に届いていないのかもしれない。

そういう意味で、生きていようが死んでいようが「想いを届けられない」という点において状況は同じなのだろう。でも、少なくとも、生きていれば「伝えたい想いを伝える可能性」は残されているわけで、しかし一方で、故人にはそれがない。

人がこの世での時間を終える時、その人が抱えていた想いも同時に消滅する。そう考えれば、本来、遺品で「想い」を伝えるより、生きているうちに伝えたいことを伝えるべきものなのだ。実際のところ、グルのような遺品整理士にそうそう出会えるわけではないのだから。


さて、「人生の終わり」は、予感と共にゆっくりやってくる場合もあれば、ある日突然訪れる場合もある。それは誰にも予測できない。

だからこそ、今、この時から「想いの行き場」意識するべき。

伝えたい「想い」を伝えたい人に伝えること、そして、自分にとって大切なもの(すなわち、自分が死んだ後に生きた証として残すべきもの)を選別して生きて行くことは、有限の時間を生きる私たちにとって重要なことなのだ。

このドラマを鑑賞し、改めてそう思うのであった。


3.故人の「人生」と「想い」の行き先

それにしても、タン・ジュンサンとイ・ジェフンの組み合わせは本当に秀逸だと思う。彼らが演じるグルとサングの関係性には、違和感なく秒で入り込むことができたし、そのおかげて作品を存分に堪能できた。

ところで、二人にはグルの父でありサングの兄でもある、亡きジョンウの愛情に支えられているという共通点がある(サングがそれに気がつくのは物語後半だか)。
また、ジョンウがいなければグルとサングが出会うこともないわけで、彼らはジョンウを通してお互いの存在を認め合っているとも言える。

そして、亡きジョンウの「存在」と「想い」が二人の関係を支えているという構図は、故人が、残された人の心の中に生き続けることができる証でもあり、この物語が伝えたいことの一つであろう故人の「人生」と「想い」の行き先を示しているようにも思う。


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さて、グルを演じたタン・ジュンサンは、「愛の不時着」第五中隊の愛すべき末っ子、ウンドン。あのウンドンが「愛の不時着」で見せた可愛い笑顔を封印し、ロボットさながらの棒読みで長ゼリフをこなす姿はとても新鮮。
アスペルガー症候群のグルを見事に演じている。

そして、もう一人の主役イ・ジェフンの演技も然り。
こちらも「シグナル」で見せた孤高のプロファイラーとは対照的な、だらしない&やさぐれた男の役。グルの「叔父さんは複雑だけどいい人」というセリフそのままに、影と味ある叔父を演じている。それにしても、ボクサーという設定に全く違和感がないくらい、カンペキに身体が仕上がっていたのがすごい。。


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さて、最後に、二つの「胸打つシーン」について語りたい。

まずは、グルが遺品整理をする前に、今は亡き部屋の主に自己紹介をする場面。

○○さん、あなたは、X年X月X日に逝去されました。
ぼくは遺品整理社、ムーブ・トゥ・ヘブンのハン・グルです。

これから あなたの最後の引越しを手伝います


この一連のセリフを聞くとなぜか泣けてくる。
また、故人と故人の人生への敬意を表する彼の姿を観ていると、私も厳かな気持ちになる。


そして、もうひとつ。
グルが遺品整理を行うにあたり、ヘッドフォンを着用し穏やかなクラシック音楽の世界で淡々と作業をする場面。

穏やかな曲と相まって、グルの姿と行動がどこまでも清らかに感じられ目が離せなくなってしまう。
また、グルによって発見された「故人の所持品たち」が放つ「見つけてくれた」という安心感のようなものが、音楽と共にその空間に漂っているように感じられ観ている私の方が癒されるのだ。

一視聴者でしかない私だけど、遺品整理によって癒されている故人の気持ちになりきって、その場面を観ているのかも。

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「ムーブ・トゥ・ヘブン」の宣伝動画にあった字幕メッセージ「Every death has a story to tell」 のとおり、どの故人にも、伝えたいこと、そしてその人ならではの人生があったはず。

このドラマは、日頃めったに考えることのない、しかしとても大切なことに思いを馳せる時間を与えてくれる作品だと思う。

心の柔らかいところを刺激する「ムーブ・トゥ・ヘブン」、続編(きっとある)が本当に楽しみ。



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