チャン・デヒあってこその『梨泰院クラス』ー悪役がドラマの質を左右する
韓国ドラマ「梨泰院クラス」を完走したのは8月半ば。
夏真っ只中だったあの頃から早2ヶ月。
季節は変わり、秋の夜長に「梨泰院クラス」を再観することに。
そして、ドラマ2周目にしてつくづく感じたのが悪役の方々(長家の親子)の演技の素晴らしさ。
前回はオ・スアを中心にドラマの感想をnoteに書いたが、今回は長家の会長であるチャン・デヒとその息子チャン・グンウォンに焦点を当ててみたい。
1. チャン・デヒという男について
長家の会長チャン・デヒは、一代で会社を国内外食産業トップにまで成長させた創業者。
彼は四人兄弟の長男で、貧しい子供時代を過ごしてきた。
末っ子は飢え死にし 道端の腐ったものを食べて弟たちも死んだ
家族を飢えさせず、十分食べさせたくて長家をつくった
そう、「長家」の始まりは家族のため。
それが彼の生きる目標であり、家族は彼にとって何よりも大切な守るべき存在だった。
しかし、大企業のトップとしてし烈な競争を勝ち抜いてきたチャン・デヒにとって、大切なものはいつしか「家族」から「長家」へと変わっていく。
家族のために創業したはず「長家」が、今では家族よりも優先される理由はただひとつ。「長家」はチャン・デヒそのものだから。
彼が家族を見捨てるのは第10話。
息子であるグンウォンの過去(ひき逃げ事件を起こした)が世間に明らかにされた時。
被害者は天敵パク・セロイの父であり、チャン・デヒにとっては自分の会社の元従業員でもあった。
事故が起きた当時、チャン・デヒは長家の後継者である息子が逮捕されることを避けるために事故を隠蔽した。つまり事件の真相が明らかになれば自分も罪に問われることになる。
チャン・デヒは全ての罪を息子に被せて「長家」を守るか、それとも「長家」が風評被害に晒されようとも「息子」を守るかの岐路に立たされる。が、最終的に彼が選んだのは「長家」だった。
さて、凄腕のチャン・デヒだが経営者として見誤っていたことがある。
それは「たとえ創業者であろうと、会社は彼の所有物ではない」という、当たり前の事を軽んじているところに表れている。
株式会社である「長家」には当然株主がおり、従業員だって会社の重要なステークホルダー(利害関係者)だ。
しかし、チャン・デヒにとっては「長家」は自分のものであり、また、自分がいるからこそ「長家」が外食産業のトップでいられると自負している。
確かに彼の存在が長家に多大なる影響を与えているのは事実だが、その体制を変革させ、末長く長家が繁栄する道筋を作ることが本来彼のやるべきことだった。
ともあれ、チャン・デヒは「長家」のためなら家族さえも裏切るし、手段を選ばず悪事を働く。
特に、パク・セロイが彼にとって脅威となるにつれ、チャン・デヒの攻撃は陰湿に、そして激しくなっていく。
しかし戦いはいつかは終わる。
「長家」の絶対君主であったチャン・デヒは病に倒れた。
しかし死が近づいていてもなお、彼は自分を見失うほど「長家」に執着していく。
そしてそれは、「弱肉強食」を座右の銘としていたチャン・デヒ自身が、パク・セロイという強者に食われるまで終わらない。
2. 父と息子の悲しい関係
チャン・デヒにとって、息子のグンウォンは出来は悪くとも可愛い息子だったはず。しかし、残念ながらグンウォンは後継者の器ではない。
一方のグンウォンは、父に認められようと必死だが何をやっても上手くいかない。
親の力を自分の力と勘違いし、横柄な振る舞いを繰り返す残念な息子だ。
そんな二人の親子関係は絶対的な主従関係で、父は息子を恐怖でコントロールしてきた。
その恐怖支配の下、父親に認めてもらえないグンウォンは常に不安を抱え、憂さを晴らすために弱い他者を攻撃する。典型的な「虎の威を借る狐」の状態だ。
ちなみに、パク親子の関係はチャン親子のそれとは対照的。
パク・セロイの父は、自分の信条を貫く息子を誇りに思っており、それを率直に息子に伝える。
息子はその言葉に勇気をもらい、また、父親の自分への愛情をしっかりと感じ取り、自己を肯定して生きている。
そしてそれが、自分の信じる道を突き進む原動力となる。
パク親子は深い信頼関係で結ばれているのだ。
この二人の父親のやり方は、それぞれの息子たちに大きな影響を及ぼすことになるが、不幸だったのはチャン家の息子。
主従関係から抜け出せず、いつも父を恐れていたグンウォンにとって、父親のやり方は息子を人間として成長させるよりも、萎縮させる方向に働いた。
そういう意味でも彼は可哀想な男なのだ。
過保護でもあった父親から自立する機会もなく、それなのに2度も見捨てられ、でも最後まで父親から認めてもらうこと、愛されることを切望する。
幼い頃から自分の器以上のことを期待され、逃げ場がなかったグンウォンが道を踏み外していく様子は見ていて切なかった。
3. 悪役がどれだけ悪役として輝くことができるか
「チャン・デヒ」と「チャン・グンウォン」。
この二人の悪役のキャラクターは、悪役なりに自分の人生を必死で生き抜く人間として設定されている。ありがちな悪役像ではなく、人間性が深く掘り下げられていることが、真っ直ぐで正義感の強い主役パク・セロイとの対決に重みを与え、結果として主役の存在を際立たせることに役立っている。
特にチャン・デヒの怪演とも言える迫力ある演技によって、視聴者は心底彼を憎々しいと感じるし、その対極にあるパク・セロイに共感する。
「梨泰院クラス」は、強烈なキャラクターである主役のパク・セロイに負けない、パンチの効いた人物としてチャン・デヒが描かれていること、そしてこの二人の対決が物語の骨格として存在しているからこそ、骨太なドラマとして成功したのだと思う。
また、物語を通してブレないチャン・デヒの「悪人顔」と、最終話でパク・セロイにすがりつく「弱々しい老人の姿」のギャップの表現もさすがで、その演技には気持ちがザワついた。チャン・デヒには、ただそこに居るだけで多くのことを語る、圧倒的な存在感があるのだ。
もう一人の悪役のグンウォンも、「これでもか!」というほど嫌な奴だが、彼が抱える悲しみや純粋さみたいなものが垣間見える後半では、彼に共感はできなくても気持ちは理解できるような気がした。
そしてこんな風に視聴者が感じるのは、悪役の人物像が緻密に設定され、そしてそれを演じきる役者の演技力がドラマの質を高めた結果だと思う。
ところで、チャン・デヒを演じたユ・ジェミョンは47歳だそうだ。
メイクの効果もあろうが、あの老け感と迫力が出せるのはすごいの一言。
さすが韓国の名バイプレイヤー。
彼は「応答せよ1988」にも出演しているが、「応答せよ」の先生役があのチャン・デヒだと気がつくまでには時間がかかった。(先に観たのは「梨泰院クラス」)
役者というのは演じる役ごとに本当に別人になるのね。プロの仕事は実に見事。
そして、チャン・グンウォン演じるのはアン・ボヒョン。
彼を知ったのは「太陽の末裔」。
「太陽の末裔」では爽やかな軍人役だったけど、打って変わって「梨泰院クラス」での悪役っぷりは素晴らしかった。
とにかく、ドラマにおいて悪役の存在は重要だ。
なぜなら、悪役次第でドラマの質は大きく左右されるから。
たとえば「愛の不時着」ではチョ・チョルガンの存在がスパイスであり、物語を動かしていたように、「梨泰院クラス」では長家のチャン親子、特にチャン・デヒがドラマを盛り上げたことは間違いない。
もちろんパク・セロイを演じたパク・ソジュンも素晴らしかったし惚れ惚れもしたけれど、脇を固めた悪役の貢献が「梨泰院クラス」をより魅力的なドラマにしたのだと思う。
トップ画像:jtbc「梨泰院クラス」公式サイトより引用 http://tv.jtbc.joins.com/itaewonclass