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【インタビュー vol.4】「目指すのは、地方から新しい社会をつくるパイオニア!」FromTo CHRO 角田尭史が実現させたい未来
FromToの社員インタビュー第4弾!
今回は、CHROの角田尭史(すみだたかし)さんです。
大学野球での大けがから気付いたこと、1社目で心身に支障をきたして休職したことから起きた偶然の出会いなど、角田さんの数多くのターニングポイントを教えてくれました。
そして、「地方から新しい社会をつくるパイオニア」になるための、これからの挑戦を語ってくれました。
角田尭史プロフィール
1991年、愛媛県生まれ。大学・大学院で土木工学を専攻した後、2016年に総合重工メーカーに土木建築技術者として入社。2018年7月、メディア運営会社に編集者として入社し、2019年1月に編集長就任。2019年11月、株式会社FromToに入社すると同時に静岡県下田市に移住。2020年7月に多拠点生活を開始するなど、地方を舞台に公私問わず幅広い活動をおこなう。
お客様の想いを実現させるコンテンツ作り
ー現在の仕事について教えてください。
エンジニア集団の当社にあって、私は他のメンバーではカバーできないことを幅広くおこなっています。
主に営業や広報、さらには採用を担当しています。
時には、代表の宮城の思考整理に付き合ったりしています。
ーその中で、特に心がけていることは何ですか?
お客様一人ひとりと向き合って、最適な提案をすることです。
当社サービス『flato』に満足してもらうには、コンテンツをより充実させることが大事だと思っています。
個々の興味や関心に応えられるように、そして悩みや不安を解決できるように、インタビュー記事やメールマガジンなど幅広いコンテンツの提供に努めています。
裏方に回って見つけた自分の目指す姿
ーここからは、過去の話に移っていきます。どんな大学生活を送っていましたか?
大学・大学院で土木工学を専攻していました。
それ以上に野球部での活動に熱を入れていて、週6で練習があったので、学部生時代は勉強と野球の記憶しかありません。
指導者がいなかったため、選手それぞれがメニューを考えて練習するスタイルで、自分の弱点を克服しようと試行錯誤する毎日でした。
そのおかげか、セルフマネジメント力が自然と身につきましたね。
ーところがあるとき、大会直前の大けがで裏方に回ったそうですね。
はい、悔しい出来事でしたね。
大けがをしたせいで、大会は出場停止。試合に出たいのに練習すらできないもどかしさで、野球が嫌いになりかけるほど落ち込んでいました。
それでも、野球、そしてチームが大好きだったので、裏方というポジションを受け入れました。
ー実際にやってみてどうでしたか?
はじめは表舞台がうらやましくて、ふてくされていました(笑)。
けれど、あることに気づいて気持ちが変わり、積極的に取り組むようになったんです。
それは、「選手だけでなく監督やマネージャーなど、たくさんの人の力でチームが成り立っている」ということ。
全員がそれぞれの役割を全うし、有機的につながっていくことで、「勝利」という結果につながるのだ、と。
そこから、一人ひとりの役割や活躍に目を向け、光を当てられるような存在になりたいと思うようになりました。
大学の野球部のメンバーとの写真
失敗ばかりの辛い日常を変えた偶然の出会い
ー大学卒業後、大手重工業企業に就職した理由は何ですか?
「さまざまなことを経験したい」と思ったからです。
一般に、土木科の多くの人はゼネコンやインフラ系の会社に就職するのですが、土木だけでない幅広い仕事があるところに惹かれて選びました。
入社後、どんな仕事にもやりがいをもって取り組んでいました。
しかし、現場監督になった2年目にとても辛い出来事があり、「もう辞めてしまいたい」と思うようになったんです。
ー何があったんですか?
現場でのパワハラです。
上司から理不尽に圧力をかけられる日々が続き、精神的に疲れていきました。
時には、「自分は役立たずだ」と責める日もありましたね。
そんな中でもどうにか働いていたのですが、ついにその気力は尽き、現場を離れて少しだけ仕事を休むことにしました。
ー心が耐えられなくなってしまったんですね。その後、土木系の仕事とは全く異なるライティングを始めたそうですが、きっかけは何だったのですか?
代表の宮城に声をかけてもらったことです。
仕事を休んでいたとき、もともと知り合いだった宮城から突然、「文章を書いてくれない?」と連絡がありました。
おそらく、趣味で投稿していたnoteの記事を見てくれていたからだと思います。
そのときは始めてから1ヶ月ほどしか経っていなかったので、投稿数はわずかでしたが。
ーその中で可能性を見出した宮城さんの洞察力、すごいですね。
そうですね。
迷うことなく、「これも何かの縁だ」とやってみることにしました。
また、そのとき仕事を休んでいて暇だったので(笑)、新しいことに挑戦しようと思える心の余裕が生まれていたんだと思います。
ー実際にやってみてどうでしたか?
ライティングが好きになりましたね。
記事を投稿してみると、思った以上に周りからの反応が良く、「自分の仕事が誰かの役に立っている」と実感することができたんです。
現場にいたときとは全く違う感覚で、心が満たされるようでした。
そこから、発信を通して「かつての自分のように、仕事で苦しむ人を元気にしたい」と思うようになり、メディア系の企業への転職を決めました。
FromToメンバー向けにライティング講座を開催した時の写真
地方から新しい社会をつくるパイオニアに!
ーその会社ではどんなことをしていましたか?
主に取材やライティング、編集などをしていました。
中でも力を入れていたのは、人との交流です。
あるとき、パートナーさん(ライターさん、カメラマンさんなど)との関係性を深めるべく、交流会を企画したところ、「めったにない機会だ」と喜んで参加してくれたんです。
ーフリーランスという仕事柄、孤独感を感じる方が多いからですね。
そうみたいですね。
「誰かの心の支えになる場所」を作ることができた手応えは、とても大きかったです。
ーその後、FromToに入社した理由は何ですか?
「自分の可能性をさらに広げられる」と思ったからです。
以前の会社では編集長をしていて、充実した日々を送っていたのですが、宮城さんから「役員として入ってほしい」と誘われ、すぐに入社を決めました。
「役員って何ぞや?」と今でもわかりませんが、今までとは違った位置で仕事ができることが楽しみになりましたね。
ーありがとうございます。最後に、これからFromToで挑戦していきたいことは何ですか?
広告塔のような存在になることです。
地方にフィールドを置くことで、個人の可能性が広がる人も多いですが、その手段の一つが『flato』だと考えています。
そのためにも、今以上にお客様一人ひとりを深く向き合い、関係性を深めていくことで、よりよい人生を過ごせるようなきっかけを作りたいですね。
そして、まずは自分がそれを体現していき、「flatoといえば角田」という広告塔になりたいと思います。