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言いたいことはそれに尽きる

わたしは愛する人との日々の暮らしを心から愛している。

そこには優しさがある。やすらぎがある。喜びがある。信頼がある。尊敬がある。驚きが、情熱が、安心が、冒険が、穏やかさが、笑いが、理解がある。

いつまでもこの幸福が続きますようにという二人の強い願いがある。

一日一日をこうして望むままに過ごしていき、互いを気遣いながら、時を重ねて、一緒に老いていき、意見を交換していき、互いの好きなものをどんどん好きになっていき、互いの一部を自分に取り込んでいき、現在の時点では想像もつかないような強い絆を持っていけるという未来の希望がある。

今は幸せすぎて、こんな毎日がずっとずっと続いていくような気がしているけれど、このような暮らしがいつか突然終わることを時折想像してみる。それは来週やって来るかもしれないし、50年後にやって来るかもしれない。

そんな時わたしはどう生きていけば良いのだろうかと自問する。きっと、愛する人と当たり前のように幸せに暮らせている他の人を見て羨ましがったり、独りぼっちの自分を可哀そうに思うだろう。たとえば愛する人がこの世からいなくなってしまったとして、わたしは果たして一人、生き続けていけるのだろうか。もういっそのこと、自分も消えてしまいたいと思ってしまうのではないだろうか。

もし、反対に、自分が愛する人を残して、この世を去ってしまうことになるとする。そうした場合、愛する人にその後どんな人生を歩んでもらいたいかを考えてみる。悲しみ、孤独、絶望、後悔、恨み、怒り、無気力さ、自責、自暴自棄、そんなものとは無縁の人生であって欲しいと願う。どうか、わたしを追って命を絶ったりしないで欲しい。どうか、わたしを想って泣き続けたりしないで欲しい。世界の美しいところをできるだけ受け取って、楽しく心豊かに生き続けて欲しい。自然の中に身を置いて、虫や草、動物、空や星、海や雲の美しさ、偉大さ、不思議さ、尊さを心ゆくまま感じて、圧倒され、幸福感に包まれて欲しい。友達と卓越したジョークで笑い転げて、愛と信頼を感じ続けて満たされて欲しい。眠っていた思いが覚醒され、ありとあらゆる感情が込み上げて涙が溢れるような音楽を聴き、音に身体を預けて浮遊感を味わうような音楽を演奏して、不安を吹き飛ばすような爽快な気持ちを持つ機会を数えきれないほど持って欲しい。優しい人が選んだ、優しさといたわりの言葉にたくさん触れて、素敵な気持ちになって欲しい。家族に、友達に、職場の人に愛されて、自分の好きなことに好きなだけ打ち込んで、得意なことで多くの人を喜ばせて欲しい。

そしてきっとわたしの愛する人もまた、わたしにそんなことを望むだろう。希望と、喜びと、情熱と、平和と、幸福と、愛に満ちた人生を歩み続けて欲しいと思うのだろう。

そんなところまで思いを巡らせた後、突然わたしは現実に引き戻される。今わたしの隣には、何も変わらず、今まで通り愛する人がいて、毎日は同じように、愛に満たされ平凡に過ぎていく。わたしの「もしも」を考えて行き着いた答えがわたしに教えてくれたことは。「もしも」がなくても。今、この日常でも。世界の美しいところをたくさん受け取って、大きな喜びに包まれて生き続けて欲しい。わたしも、あなたも、彼も、彼女も。

わたしたちの二人の人生はこれからも続いていく。でも一人でも生きていけそうな気がする。今も、二人でありながら一人のような気もする。わたしたちは、時に一人に、そして時に二人になる。愛と信頼で満たされた空間にいると、そこにいるのは二人なのに、同じ人間になったような気持ちにすらなる。

幸せの形は人それぞれ。一人で生きても良い、二人で生きても良い、みんなで生きても良い。大切なことは人生が楽しく幸せであること、そしてできることならば他の人の幸せまでも願えるほどの幸せを増やしていけることだと思う。生きる喜び、そして”信頼し、尊敬しあうこと”という経験を与えてくれた愛する人に、そしてこれまでわたしを支えてくれた全ての人に、ありがとうという気持ちで本当にいっぱい。本日、無事に35歳になりました。本当にありがとう。どうか幸せになって。ずっと幸せでいよう。言いたいことはそれに尽きる。


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