ジブリとウクライナ問題(ぽんぽこか、プーさんかプーチンか)
火曜日にスイスから日本に帰ってきて、3日間の自宅待機を経て自由の身となりつつある。
はじめて長期間の海外だったので、大冒険のつもりでウキウキしながら出発したのだけれど、いざ到着したら、そこで生活している人たちの日常があるだけだった。(そりゃそうである。)
ディズニーランドとかでない限り、世界中どこにいっても、ひたすら日常だろう。
スイスにいる間、ジブリ映画ばかり見ていた。
これまであまり考えてこなかったのだけれど、宮崎駿という人は、なかなか土着性の人である。
山のショウジョウたち(もものけ姫)が喋れなくなるのも、キキが飛べなくなるのも、ぽんぽこたちが化けれなくなるのも、全部、人々が土着性を失っているからだろう。
(土着性とは、とりあえず、その土地でみんなが信じていると、みんなが身体を通して思っているモノや人や神さまのことである)
(そう考えていくと、ディズニー好きな人がジブリも好きというのは結構不思議な感じがする。世界中がディズニーランドになっていくと、ジジは喋れなるはずだからだ。)
バーゼルでは、週末になると、ライン川の河畔でみんな日向ぼっこして、ビールなんか飲んでいる。
お日様にあたると気持ちがいいということでもあるのだろうけれど、それよりも、ライン川が気持ちが良いものだとみんなが思っているということ、もしくは、同じ身体性を持っているとみんなが信じられるというようなことを感じたのだった。
(つまり、「ライン川ってイイよね」と、お隣さんも思っているだろうと、みんなが思っている、ということである)
それは、ヨーロッパ最高!とか、そういうことではなくて、なにか、その土地にずっとあったモノや神さまが、今も変わらずに残っている感じがするのだよな。(ここで「神」とか言っちゃうあたり、鈴木はアニミズムを信じるジャパニーズなのかもしれないけれど・・。)
逆に、そういう意味では、東京はだいぶ土着性を失っていて、なんとなく、それが人々の誇りや自信を失わせているような気がしてしまう。
魔女の宅急便は、今やUberEatsなわけだし、なかなか東京で魔法を使うことは難しいのである。
そういうことを考えると、やっぱり私は、ウクライナが侵攻されていることに、すごく心が痛い。
(8000km離れた日本でいくら心を痛めたところで何にもならないのは分かるのだけれど、そもそも戦争も国家という概念も特に何にもならないので、わたしは心を積極的に痛めていこうと思う)
ウクライナという土地がロシア化されていったとき、なにか、ウクライナにいたはずの神さま(のような何か、あるいは身体性)が滅ぼされていくように思うのだよな。
ロシア的な暴力の論理で旧東側諸国がふたたび画一化されていくこと、すごく嫌なかんじだ。(一方で、日本も、アメリカナイズされた資本の論理で画一化しているように結構感じるけれど。)
プーチンの全体主義的世界と、プーさんの資本論理的な世界。
どちらの世界も、キキが空を飛べない、つまらない世界である。
なかなか情勢は厳しいけれど、一人でも少ない死者で、ウクライナ人が誇りを持てる形で、早くすべて収束してほしい。