体温andことば

体温のある、ことば。

対話をつくるための場、に行く機会があって、めずらしく東京に出た。
普段あれこれ思っていることを、わたしは、「えっと」とか「あのお」とか、へどもどしながら喋っていた。

対話の場、ということもあって、社会問題や時事問題の話にもなった。いろんな差別の話にもなった。議論は白熱していた。



「ああ、今日はつかれたね、おつかれさま」
「このところ毎日やってるんですよ」
「たいへんだね」



帰り道、電車に乗る。
電車のなかには、いろんな顔がある。

きっと、さっき話した問題の、当事者である人も、この電車に乗っているのだろう。

―――わたしたちのことばに、体温はあったのかしら。

主催者に悪いな、と思いつつ、ぽわぽわと考えてしまった。


命懸けでその問題について考えてきた人が、さっきの差別あれこれの議論を見たら、どう思うんだろう。
どうも、対話ための対話になっているような、都合のいい社会問題を、評論家ぶって消費していたのではないかしら、わたしたちは?



―――次は、有楽町、有楽町。





わたしたちのことばに、体温はあったかしら。

なんだか、ロールズが既に言ってきたようなことばを並べていただけのような気も、してくる。Wikipediaみたいな人になっていやしなかっただろうか。

Googleで検索すれば、なんでもすぐに分かったような気持ちになるけれど、それって、だれかが体温を持って紡いだことばの、コピーのコピーでしかない。エンターテイメントにはなりうるかもしれないけれど、死んでいることばだ。


体温のある、ことば。

それは、話し手のこれまでの人生だったり、考え方だったりが反映されていることばで、あ、いや、ことばになっていなくてもいい、「ああ」とか「えっと」とか、絵でもダンスでも。口笛でもハーモニカでも。そっちのほうが、よっぽど人間っぽいんじゃないか、とおもうのです。

ですから、そういうことばを紡げるようになりたいと、反省しつつ、思うのでした。




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みなと
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