10月は週に一回は更新したい
noteを更新しよう更新しようと思っていると、それ自体、書くハードルをあげることになっていって、段々、自由闊達に書くことができなくなっていくから、よくない。
つい最近、一つ、投稿論文を出し終わってから、燃え尽き症候群の傾向が、ややある。元々がメンタル弱弱人間なので、こういうダメージを受けやすい時期こそ慎重にと思って、この二日間くらいは、映画を観たり、海を眺めたり、ぼんやり過ごしている。
今日は、9月の振り返りをして、10月の目標を立てたあと、近所の海を眺めていた。オシャレ感演出のために、Twitterに写真をアップしようと思ったのだが、ゴミの散らばった東京湾の海辺でファミマのサンドイッチ食べている自分がばかばかしくなって、やめてしまった。
心を労って過ごすというのは、なかなか容易ではないよなァと、つねづね思う。
家に居てYoutubeを観たりSwitchをしていても、心は徐々に荒んでいくのだし、かといって散歩に行こうとしても、余計な知識(「散歩は15分以上30分以内がセロトニン分泌にとって効果的!」というような言説)が頭をよぎってしまって、休憩自体が仕事化してしまう。効率よくお散歩せねば、という呪い。
(ここで、休憩時間が生産性向上のための手段と化している時点で、鈴木は社会構造に埋め込まれているのだ……!!、というようなことを、いつもの調子で書きかけるが、お題目的な自分にまた馬鹿馬鹿しくなってきて、手を止める・・。)
こういう、休憩を休憩として自由に楽しむことのできるメンタルが、コロナになってから急速に失われているような感じがするのは、テレワークで家でも仕事ができてしまうからだろう。
これまで純粋な休憩だった「おうち時間」は、「おうちのお仕事しない時間」に置き換えられてしまった。「おうち時間」が、お仕事の不在に思えてきてしまう。
そういう「お仕事しない時間」を回避して、今や高級品たる「おうち時間」を手に入れるために、「何かしている感」を自分に対して演出する術として、今月は、一週間に一回くらい、noteを更新してみたいと思う。(結局のところ、noteを書いたところで、何もしていないのだが。)
何もしないことに漠然と不安を感じてしまう自分への処方箋である。
今月は、取るに足りないことを、ぽれぽれと、綴っていきたい。
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