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No10:【中国語講師で世界が変わった②(闇の中に光をみる)2016年~2017年

仕事もこれから!もっともっとガンガンやろうと思っていたら、あれ?身体に悲鳴が、収入もないぞ、さあどうする…?

第10章 全ての転換期 

実は、2016年3月頃からずっと体温が37℃~39℃。なぜなんだろうと病院を巡るが原因がわからない。腹部に痛みが続くものの解熱剤を飲んで仕事は続けていました。

それでも4月、5月、6月治らない。教壇に立つのも辛く、一つまた一つと代講してもらったものの、最後には夜中に腹痛で救急車で搬送、それでも原因がわからない。MRLで判明したのが胸水腹水があるとのこと。なのに原因がわからず、大病院も数件回る、結局親身になってくれたのが町医者でした。ガンの腫瘍マーカーも30倍に…原因分からず。痛みとしんどさでとうとう玄関も出られない状態になってきました。

この時に思いました、病気というのは病名が分かればしめたもの。そこから治療することができるですから。3か月ずっと原因探し、原因がわからなければ治療ができないので、胸水があっても腹部が痛くても何もできない、入院させてもらいたかったけれどそれもできず、あらゆる検査をしました。検査代もただただ懐がきついだけ。

収入がない上に働けないので…う~~ん。考えた末に、婚約指輪を売ろうと思ったけれど、どこにしまい込んだか見つからず(-_-;)、私が大学卒業後から入っていた年金生命保険を解約。これで当面の生活費は確保できたものの、今度という今度は本当にもう後がありません。

収入も心配でしたが、直面しているのが健康…そういえば、15歳の時に心臓の手術をした時に、次の日が迎えられるのかな?と思ったし、C型肝炎のインターフェロン治療の時も、健康って得難いものだと思って心を入れ替えたはずなのに、喉元過ぎれば全て忘れて、身体の事を考えずに働きまくったのでした。

今回は原因不明の上に胸水腹水、おまけに腫瘍マーカーの数値が30倍と高く「死」まで意識することに。なぜ今回こんなになるまで自分に気か付かなかったんだろう?何を頑張っていたんだろう?と考えてしまいます。

振り向くと主人が、食事から文鳥の世話まで何から何までやってくれていました、「スイカが食べたい」「アイスがほしい」というと買ってきてくれるし、毎回病院に付き添ってくれていました。2016年の夏は、3か月間、家と病院だけの生活で不安だらけでしたが、静かで穏やかな日々でした。

お金はない、健康も原因不明、仕事も断った、先が見えない中、思っていたのは「いまに集中」。まだ来ないこれからを心配していても何もならないので、今の痛みの感覚を味わうことや休むことに集中、文鳥の可愛さや、主人の温かさに集中。きっとこの日の事を「そんな事もあったね」と笑える日が来ると信じていました。

とにかく気持ちも休む、身体も休む、いろんな薬も試していくとだんだん数値もひいていきました。未だになぜだろう?と原因わからず。

大切だと思ったのは病気をすると「早く元の生活に戻らなきゃ」と思いがちですが、元の生活が原因で病気になったのですから、元の生活に戻ってはいけないのです。生活や働き方を変えなければなりません。※わかっているけどなかなか…ね。(-_-;)

10月から少しずつ仕事に復帰しましたが、中国語講師をする?レッスンをする?あれよあれよという間に、中国語講師の授業も、元のようにまた増えてきました。

そんな中、2017年1月にはかねてから念願であった大学の先輩でありフリージャーナリストの中島恵氏をお呼びしての「変化のセミナー」も開催。音楽家の鳴尾牧子氏にも演奏いただきました。これは半年以上前からお願いしておりました。初の50人以上の方にご参加いただき、遠方からも…本当にありがとうございました。楽しかったですね。

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さて、年金保険を解約したお金も、収入より収支が多いのでもちろん減っていきます。中国語講師をもっともっともっと増やす?そしたら現状は変わらないよ。ほかの職種に変える?そしたら中国語諦めなきゃ…

収入を取るか、中国語を取るか?いよいよ窮地!

もうあと数か月の生活費、ここで決断したのは…

「自らの学び」への投資でした。

え?ま・さ・かですよね(笑) 

お金ないのにほぼ全財産「学びへ、ベット!」

※表と裏なんだか全て暴露してますね(笑)









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