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中国語通訳をやってきたからこそ講師として教えられることがある

最近は、大手の中国語通訳養成スクール中国語通訳者養成の授業がなくなってきました。これらのスクールは通訳者や翻訳者を養成するもので、授業も厳しく、宿題もとても多く、受講生も切磋琢磨してというものでした。

私も受講生だったころは、1ターム6か月間は、映画や遊びにも行かず、すぐに家に帰ってはひたすら勉強していました。外出しても早く帰って勉強したい気持ちに駆られていました。実家に帰省していても、図書館に行って勉強したり、家族から離れてこっそり音読したり、勉強を欠かしませんでした。

旧HSK8級、中検2級レベルは、実は、やっと通訳養成スクールの基礎クラスに入れるくらいのもので、そこからの修行というようなものです。

私は中国滞在中に旧HSK8級を取得し、日本に帰国後、「もう中国語で仕事ができるだろう」なんて思っていました。

ところが全く…ボランティアでも言葉が出てこない、聞き取れないし、通じない💦の連発でした。

その時に思いました。自分で話す中国語と、通訳をする中国語って違うんだと。

HSKなどの試験は確かに学びとしては、集中して学べてインプットも多くなって実力もつくけれど、仕事で使うものはまた別もので、勉強と学びの違いを痛感しました。

そして、なんせ通訳学校はお金がかかるので、お金も稼がないといけない。最初は飲食店で半年アルバイトをして思いました「いや!違う!」

そこで自分で決めた事がありました。中国語で通訳になると決めたので、「中国語以外のアルバイトはやらない。」と。

毎日のスケジュールを中国語に関連するもので固め、地域の言葉のサポートボランティアも中国語通訳へ積極的に、アルバイトは中国語翻訳会社。そして法廷通訳、家庭裁判所の通訳、商談会、医療通訳へ広がっていきました。

法廷通訳を始めた時と、通訳学校に通い始めたのが同時期で、法廷通訳で、「この通訳さん使えない!」と切られるのが先か、中国語をレベルアップするのが先かというくらい、切羽詰まっていたので、テレビ、映画、音楽、全て断って勉強していました。

ボランティアの通訳でも、日本に住む中国人のトラブルが続出し、駆け込み寺のようなサポートをしていて、その時期も5年間ほど早朝から夜中まで中国語の通訳で駆け回っていました。無償でしたが中国語はレベルアップしました。

そんな生活を6年間ほどやっていたら、少し通訳する事が楽になってきましたが、それでもまだまだでした。まだまだ訳しきれない言葉もあるし、悔しい思いもたくさんありました。

そんな時に、講師にならないかと通訳学校からお誘いを受けて、通訳養成学校で中国語講師になりました。

中国語通訳から中国語講師になった時に、自分の文法力のなさに気が付き(おせ~よ)そこから文法をまた猛勉強したのです。

文法は何となく感覚でちゃんと使えるけど、実は原理が分かっていない、そんな状態でした。

先に文法を知っていたほうが、学習スピードが断然違っていたかもとショックをうけました。

なので中国語100本動画を作成し、文法の基礎をお伝えしています。そして中国語通訳力養成講座では、通訳学校でのメソッドも取り入れつつ、オリジナルな講座になっています。

今振り返ると、自然とこうなる道をたどってきたのかなとも思えます。中国語通訳をやってきたからこそ、中国語講師として教えられることがあると。

講師は16年間になります。これまでやってきたことを、還元する形になりつつあるのが嬉しく、それでもまだ形としてはもう一歩!という感じですが、これからも形を変え、もっと良い講座や中国語レベルアップに関連するものを提供していきたいなと思います。

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~日本人が間違いやすい中国語~
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