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No1:中国語で収入を得るようになるまで①中国語と出会う(大学~1996年)
現在は2020年3月です。今でこそ中国語通訳、講師、ブレチャイな!を立ち上げて語学+自分軸サポートをさせていただいていますが、「中国語で何ができるか?」を模索し活動しております。
語学で収入を得ていかれるか?は、語学学習されているかたの永遠のテーマでもありますね。
現在に至るまでの中国語学習や仕事の事、振り返りつつ書きとどめていこうと思います。
第1章 もんもん期 (学ぶ時期)
長野県の高校を卒業後の進路。英語はみんなやっているし、世界史でやった中国ってなんだか大きそうだし、ブルースリーもジャッキーチェン、ユンピョウもかっこいいし、中国語学科に入ってみようかなと、消去法にて決定!
大学入学のオリエンテーションがなんと!ニーハオも言えないうちに、南京大学にてのオリエンテーション。時は1989年5月!そう!まもなく天安門事件の直前。胡耀邦が亡くなったニュースが駆け巡り、学生はざわざわ。街角にはなぜか火炎瓶が落ちている?この時に、中国語ができていたら、いろんな会話ができたのでは?と思います。
コカ・コーラが高級品!ご飯には石が混ざり、道端で鶏を絞めていて、兌換券が使われて、人民服を着たおじちゃんがたくさん…。上海では砂と埃だらけ、高いビルは和平飯店のみ!360℃至る所工事中でした。この時代を体感できたのは良かったです。
さて、肝心の大学時代はそんなに学習もせず、中国語検定も受けず…でした。授業中に先生から文法練習で「将来の夢は?」と聞かれ、単語が「通訳」しか知らなかったため、そう答えたら、先生から笑われた…(´;ω;`)くらいのできない子でした。
そして就職。中国語とは全く関係がない機械メーカーへ就職。それでも中国語を続けたいからと、週に1回夜クラスを受講。この頃はほぼ中国語を活かす道を諦めていた気がします。
さて、この頃の中国語力は、そうですね。同僚の中国人スタッフと、超簡単な会話をするくらいでしょうか。相手が褒めてくれるので「私って中国語ができる!」と誤解をするほど、そして発音も!実は発音めちゃくちゃですが、指針となる人や訂正をしてくれる人がいなかったため、なんとそのままの「くせがついた発音」が、長い時間をかけてしみついていくのでした。
半ばあきらめかけていた中国語ですが、環境の変化が起きます。
いつになったら収入が得られるようになるのでしょうか?
それはまた次回へ続きます。