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「とっとこハム太郎」が怖かった私のはなし〜強迫性障害もちの頭のなか〜

強迫性障害(OCD)ってなんぞや

私は9歳から現在まで、強迫性障害(Obsessive Compulsive Disorder)という精神疾患を患っている。この病気は精神疾患の一つで、およそ100人に1人の確率で発症すると言われている。

本題に入る前にこの病気について軽く説明する。ちょっと細かい話になるので、この病気について知ってるよって方は読み飛ばしてもらっても大丈夫です。

DSM-5(アメリカ発の国際的な精神疾患の診断基準)によると、強迫性障害は「とらわれ」「繰り返し行為」によって苦しめられる病気としてカテゴライズされる。

どういうことかというと、①「強迫観念」という自分では望まない思考(主にそれは不快さ、恐怖を伴う)が絶えず頭の中に浮かび、②それを打ち消すために「強迫行為」という患者自身が不安を打ち消すための何かしらの儀式行為を行うことによって、生活に支障が出ることに対する病気である、ということらしい。

例えば「手が汚れた気がする(強迫観念)→だから手を洗わなければならない(強迫行為)」というプロセスを、延々と繰り返してしまうということだ。

そしてこの強迫観念はたいてい、信じられないほどの恐怖や不安感、不快感を引き起こす。強迫行為によって一時的にはその不安は治るものの、すぐにまた不安は再開し、その結果、一時的な安心感を求めてまるで麻薬に溺れるように強迫行為をやめられなくなる。そういう病気だ。

この病気の特徴はもう一つある。それは症状に関する患者の自己認識だ。強迫観念には突拍子も無いような妄想も多分に含まれる。そして、患者自身も「自分の抱いている強迫観念は妄想だ」と理解している。

妄想とわかっていながら怖くて仕方ない。怖さに絶えかねて麻薬のように強迫行為を繰り返し、気がつけば生活が破壊されている。

強迫性障害とはそういう病気である。

「とっとこハム太郎」が怖いってなんでだよ

さて、前置きは硬い話だったが、ここからは私の症状と、私が抱える強迫観念という名の妄想、そしてそれによって引き起こしてしまった失敗談である。前置き段階で「うわっ、このnoteって超真面目な話かよ」と思った方はここからはバカバカしい話なので安心してください。

まずはじめに、なぜ私がこのnoteを書こうと思ったかについて話そうと思う。

一つ目の理由は、一種の自己セラピー。自分が恐れているものを直視し整理することで、改めて自分の強迫観念のバカバカしさを実感したいと思った。

二つ目の理由は、「強迫性障害って色んな症状があって、こんなこと考えたりしてるんだよ」っていう一例を紹介したかったからだ。

今から書く内容は、私の頭にうずまく「妄想」である。それは私以外の人から見たら大変奇妙でバカバカしく、ヘンテコだ。でもそんなヘンテコなものに心底悩まされている。

そんな人もいるんだなって、強迫性障害を持つ人も持たない人も、もしかしたらこの病気の名前を初めて聞く人にもちょっとでも知ってもらえたら嬉しいなって思ったわけ。

恐怖のとっとこハム太郎

「ハム太郎」が怖いとタイトルに書いたが、これは正確ではない。正確にいうと私は、「私が漫画っぽい、アニメっぽい、萌え絵っぽいと感じる絵」は全て怖い。でもそこら辺を全部細かく説明するには時間も文字数もかかるので、今回はハム太郎に限定しようと思う。

断っておくと、私は漫画も萌え絵もアニメも、カルチャーとして素晴らしいと思ってるし、否定したいわけじゃない。好きな人の気持ちを傷つけたいわけでもない。

言っちゃえばここの記事の内容全て、ただ私が「怖い」と感じている/たというある種の「お気持ち表明」記事とも言える。しかし、この「怖い」という感情は、私の症状から来るものだということをご理解いただき、私の症状を「なんじゃそれ?」とツッコミつつ読んでもらえるとありがたいし、そこから強迫性障害の思考プロセスをなんとなく感じて知ってもらえると嬉しい。かくいう私も、自分自身の思考回路を「なんじゃそれ?」と思っている。

さて、本題に入る。まずはとっとこハム太郎である。そう、あの四つ足で走るハムスターを主人公としたアニメの主人公だ。私が小学生の頃に一大ブームとなり、社会現象と化した。もちろん私の友人たちの間でも大人気。今でも好きだって子がいるくらい。ペットとしてのハムスターブームすら巻き起こした。まぁだいたいそんなアニメ、キャラクターだ。知らない人はググってね。

そんなアニメだが、私にとっては、人生で一番最初に恐怖の対象となったアニメ(というかイラスト?)である。そう、「とっとこハム太郎」が。

ぷりちゅー(ハム語)でハムはー!(ハム語)なハム太郎のどこに恐怖を感じるのか……その理由。それはハム太郎がげっ歯類だから。私はげっ歯類全部が怖い。げっ歯類を見ると、強迫的にネズミの死骸が頭に浮かんでしまう。ハム太郎はげっ歯類だ。ハム太郎を見るとネズミの死骸が思い浮かぶ。それで大変悩んでいた。

端的に説明すると、当時の私は、ハム太郎のアニメだけでなく、キャラクターが描かれたものを見たり、あるいはその名前を聞いただけで、目の前にネズミの死骸があるように感じたのだ。

もちろん現実にはネズミの死骸なんてない。でも私の頭は勝手に「ここにネズミの死骸があるぞ!お前に触れてるぞ!そのせいでペストに感染して死んでしまうんだ!」という妄想を生みだし、恐怖心を巻き起こした。

小学生の頃である。ハム太郎のキャラグッズを友人達はみんな持っていた。クラスの女の子は毎日のようにハム太郎のイラストを描き、ハム太郎のアニメについて話した。時にはキャラクターのモノマネをしたり。好きなキャラクターについて話したり。ハム太郎の存在は毎日私のそばにある。ハム太郎から逃げられない。頭に浮かぶのは「ネズミの死骸」とペストへの恐怖。どうしようもない恐怖に駆られていた。

けれどこの怖いと思う理由を人に話したら「頭がおかしい」と思われるとわかっていた。

この妄想がなぜ生まれたのか。思い当たる節は一つある。思い起こせば、実家でネズミを見たことだ。

実家(めちゃくちゃ古い木造建築)にはごくごく稀だが、ネズミが出た。うっかりと出てきた哀れなネズミちゃんは、これまたうっかりと我が家が仕掛けたGホイホイの罠にかかってしまうということがよくあった。ネズミちゃん……それは君たち向けの罠ではないぞ……。

そして私は、子供の頃にうっかりとGホイホイに引っかかったネズミを発見したことがあった。

定位置に置かれていたはずのGホイホイ。それがなぜか動いている。もぞもぞと音がするGホイホイ…。「なにこれ?」幼い私は不思議だなぁと思いながら、何の気なしにしゃがみこんで、ホイホイの入り口を覗く……屋根の影になった薄暗い中……そこにいたのは、一匹のでかいネズミ……薄汚れた灰色の体……小さな手足は粘着テープに絡みとられてネズミが暴れるたびに引きちぎれそう……光る眼……動く髭……。見つけた瞬間、私は悲鳴をあげた。

母が来て、「可哀想にねぇ」と言いながらネズミが捕まったままのGホイホイを大きなゴミ袋に入れた。「逃がしてあげるわけにもいかないし……」と母。「殺すの?」と私。ゴミ袋に入れられたネズミが生きたままでいられるわけない。明日は燃えるゴミの日。ゴミ処理場でネズミはきっと死んでしまう。頭の中でぐるぐると、さっき見た必死で逃げようともがくネズミの姿が駆け巡る。ネズミを殺すことへの罪悪感。それでもネズミは怖いと思う不快感。間近で見たネズミへの恐怖感。不安そうな私に、「……もしかしたらゴミ箱から逃げて死なないかもよ」と母は優しい嘘をついた。

私はもちろん理解していた。けれど、気持ちはグルグルしてた。

ネズミは害獣だもの。ホイホイから助け出すのは無理。どんな病気を持っているかわからないし、触っちゃいけないものだ。ネズミのせいで昔、ペストって病気が流行ってたくさん人が死んじゃったんだ。だからネズミは害獣なの。殺すのは仕方ない。でも可哀想じゃない?私が見つけなければネズミは死ななかった?殺さなくて済んだ?でもどうせいつか見つかってた。仕方ない。ゴミ袋に入れてそのまま燃えるゴミの日に出しちゃえば、ゴミ処理場で燃やされるんだ。可哀想なネズミ。でも害獣だもん。私の脳内には、色んなことがうずまいていた。

結果的に「ネズミを殺してしまった」という記憶は、私にとって完全にトラウマになった。想像の中で、ゴミ処理場でズタボロにされた血だらけのネズミの死骸や、燃えるネズミの死骸が何度も浮かんできた。それが私の強迫観念の引き金になったんだと思う。

テレビに映るハム太郎。お前はネズミなのか……

私にとってネズミは完全なトラウマとなった。そんな頃、世の中は「とっとこハム太郎ブーム」だった。

クラスの女の子はみんなハム太郎のキャラグッズを持っていた。休憩時間には競うようにハム太郎のイラストを描く。

私はそれまでハム太郎を怖いと思ったことはなかった。みんなと同じように「可愛いなぁ」と思っていた。別段、ハム太郎に思い入れがあるわけでもなく、大好きというわけでもなかったけれど、周りのブームに流されてなんとなく「私も好きだな」って思ってた。

しかし、実家のネズミ事変の後に、私にとってのハム太郎の存在は一変した。

小さく四つ足で、チョロチョロと動き、ひまわりの種を両手に持って齧るハム太郎……。私にはそれが完全に「ネズミ」としか思えなくなった。ハム太郎……お前もか……。

というかそもそも、ハムスターとネズミってかなり近い親戚だよね。そりゃ似てるわ。そしたらもう無理になった。ひまわりの種を齧るハム太郎と、Gホイホイに捕まったネズミの姿がリンクした。その瞬間、フラッシュバックのように蘇ってくる「ネズミの死骸」

私の心臓はばくばくしてきた。怖い。血だらけのネズミ。死んで冷えた体が浮かんでくる。それがまるで今、目の前にあって、それを眺めているような気持ち。感覚。不快感。恐怖。「もしかしたら触ったかも。ペストに感染したかも」と頭の中で考えてしまった。そしたらもう、それが現実に起きたことのように感じてしまって、自分はペストで死ぬんだと思った。

一気に湧き上がったそれは、私の中で鮮烈な感情として記憶されてしまった。「ペストになっちゃう」という恐怖。触ってもいないけれど、手がネズミの死骸を触って汚染されたように感じた。手を洗いたい。消毒したい……。私の強迫行動である「手を洗う」という行為と、「ネズミの死骸のイメージ」という強迫観念が繋がった。

これ以来、「とっとこハム太郎」という存在自体が「ネズミの死骸」を現すものへと変換した。アニメやイラストを見るだけでなく、名前を聞いても、頭の中で浮かべてしまってもアウト。そう、私は文字通り「ハム太郎恐怖症」となったのだった。

ハム太郎を見たら手を洗いたくなる。それが当時の私の強迫観念と強迫行動の一つだった。

ハム太郎はダメでミッキーマウスはいいの?

このハム太郎恐怖症はかなり長いこと続いた。ありがたいことにしばらくするとブームは次のキャラクターへと移り、ハム太郎を目にする機会は減った。(今でも好きな友人がいるので目にする機会はゼロじゃないけど)

この体験談を、前にとある友人にしたことがある。その時に友人が言った一言がこれだ。

「でもジジってミッキーは好きじゃん。あいつの名前って思いっきり『マウス』ってついてるけど……」

「いや、まぁ、そうだよね」と私。少々気まずい。確かに私はミッキーが好きだし、ディズニーが好きだ。「ミッキーはよくてハム太郎はダメ」なんてダブスタかよ。なんか差別主義者っぽくない?外国文化は賛美して、自国文化はサゲるって感じ。確かにダブスタっぽい。私も思った。でもちがう。「私なりの論理」がある。

「ジジ、日本のカルチャーは悪くて、外国のカルチャーは良いものって決まってるわけじゃないんだよ」

生温い笑顔で友人が言う。私は声を荒げた。

「ちがうよ!!ハム太郎とミッキーは全然別物!!私だって、ハム太郎が六等身で二足歩行して服着てたら平気だったよ!ミッキーは六等身で二足歩行して服着てるからネズミの要素少ないもん!!」

「いや、でもネズミやん。顔見てみ?鼻の長さおかしいやん」

不服そうな友人に、「ミッキーは人間よりもちょっと鼻が高いだけだよ」と私は弁明しておいた。

以上のことからわかるように、私の強迫観念は論理性に欠けている。そりゃそうだ。なんの根拠もない妄想だもん。

でもその妄想が怖い。一度でもスイッチが入ったらおしまい。ずっとつきまとう。それが強迫性障害である。

私は漫画イラストが怖い

私はアニメ、漫画や漫画タッチのイラスト、または萌え絵といったカテゴリーに属す(と私が感じた)ものが怖い。怖い理由?それは色々あるし一回では書ききれない。しかしどれも、上記で挙げたような、理不尽で、他者から見たら論理性に欠けて、奇妙な妄想から来る恐怖心によるものだ。

日本は漫画やアニメがカルチャーとして定着した社会である。目にする機会はとても多い。避けようと思っても避けきれない。

もし、タイトルを見て「ハム太郎が怖いなんて意味不明(笑)」と思った人は、やっぱり意味不明だなと思ってるのじゃないかと思う。でも、意味不明な理由で悩んでる人の話をネタにしてもらってもいいから、ちょっとでもこの強迫性障害って病気に興味を持ってもらえると嬉しい。

以上の内容は、私という個人の一例にすぎません。みんながみんな同じ悩みや症状を抱えてるわけじゃない。けれど私の症状の話を読んで、もしかしたら「自分と似た強迫観念の発現プロセスだ」と思う人がいたら、あなた以外にもいますよ、とだけお伝えしたいと思う。

長々とした文章だったけれど、読んでくれてありがとう。この「漫画恐怖症」は私の人生につきまとってます。また別の記事でほかのパターンの話が出来たらなって思ってる。よかったらまた読んでください!