友人の死とSNS -細い糸を自ら揺らす-
2021年5月3日、大学時代の友人がまた1人この世を去った。昨年7月末に会社の胃カメラ検診で胃癌が発覚。ステージ4、5年生存率20%との診断で、抗がん剤治療を続けていた。享年30。若すぎる死だった。
彼とは大学時代に語学のクラスが一緒だった。たくさん言葉を交わした訳じゃない。でも、彼は佐賀出身、僕は長崎出身で、同じ九州から大学進学を機に上京したこともあり、互いに不思議な親近感を持っていたように思う。サッカー好きな彼は「お、Ⅴファーレン長崎!」とプロサッカーチーム名で声をかけてくれて、僕は「なんやねん、サガン鳥栖!」と応戦した。そうやって講義を一緒に受けたことを思い出す。
大学卒業後は疎遠になったけれど、ソーシャルネットワーキングサービス(SNS)でつながっていた。彼が闘病生活を送っていると知ったのはSNSだったし、訃報を知ったのもSNSだった。病気が分かってからも彼の投稿はいつも前向きだった。<太ももを高く上げて歩くなるようになりました>〈癌になってたくさん笑うようになりました〉。1月26日には<皆さんお元気ですか?私は笑窪が復活してきました>と投稿。抗がん剤治療で髪が抜けても笑みは絶やさなかった。彼の写真はいつも笑顔と周りへの感謝に溢れていた。そして、逝去して数日後、親族とみられる方の投稿で彼の旅立ちを知った。
彼の闘病生活は約7か月間。この間、僕は彼に連絡を取ることができなかった。どんな言葉をかけていいか分からず、SNSの彼の投稿にコメントすることさえ憚られた。そして時間が過ぎていった。友達がいの無い人間だと自分自身を恥じるほかない。
新型コロナウイルスの世界的な感染拡大の影響で人に会うことはもちろん、誰かに連絡することさえ少なくなった。SNSは誰かとのつながりを残す細い糸のようなものだ。でも、自戒を込めてあえて言うならば、ただつながっているだけではいけない。糸を自分から振動させ、互いの温度感を感じ合う関係でなければ、つながっていないのと同義だからだ。自ら糸を揺らす勇気を持とうと思う。
僕は4月で30歳になった。正直、30代になったからって何かが変わるわけではない。29歳の延長線上に今日がある。でも、明日が同じように続くとは限らない。ある日を境に人生は一変してしまうから。<毎日の何気ない日々に感謝しながら過ごしてね>。彼の言葉を改めて胸に刻んでいる。