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新たな2021年に向かって

新年明けましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。

昨年は全世界で激動な年でした。
コロナという同じ敵に向かって人類全ての人が向かっていく、50年生きていますがこれほど激動な年はなかったと思います。

新たな年、2021年に向けて、今感じること、そしてこれからやらねばならないと思っていることを記しておきたいと思います。

何が苦しいのだろうか

これまでも、未曽有で厳しい出来事はたくさんありましたが、でも、今のこの環境はいまだかつてない辛さを感じている人は多いと思います。神戸の震災も東日本大震災も、当事者にとっては辛い出来事でした。僕も東日本大震災は以前いた会社で人事として経験しました。

でも、今回のコロナ禍はこれまでと違って辛さを感じている人が多いのではないでしょうか?コロナで引き起こされたものは、大きく言えば人の接触制限人の移動制限です。たった2つのことだけです。

でも、本当に辛いですよね。

これまでの震災などの辛い出来事は、どん底まで行ったとしても、起こった時が底辺で、そこから人と人とが力を合わせて這い上がっていけばよかった。もちろんそれは辛いことです。でも、とにかく這い上がっていけばよかった。

でも、コロナ禍は、以下の2つが辛い要素になっていると思います。

①人と人とが力を合わせるにも接触制限があること
②コロナにより行動制限があり、やろうと思ってもできないこと

頑張ろうにも、力を合わせて頑張れない。
頑張ろうにも、行動制限がありやりたいことができない。

これが、一番の辛さになっていると思います。

「一期一会」を身に染みて感じた年

昨年は、新しい方とリアルにお会いする機会が、これまでの社会人人生で最も少なかった年でした。恐らく人生で一番名刺交換の回数が少なかった年ではないかと思います。

僕自身、複数の企業の仕事をさせていただいているため、僕自身が感染してしまったら多くの方々にご迷惑をおかけしてしまうこと、またプライベートでも高齢の実母と義母がおり、感染リスクが高いこともあり、一年間公共交通機関の利用を最小限に止め、会食も必要最小限に抑えました。
昨年の4月以降での公共交通機関の利用日数は8日。移動の基本はマイカーでした。会食は12回(2回を除きすべて4人以下の会食)のみでした。

コロナになってから、今までは簡単にできていたことができなくなった。

もっと、皆さんとお会いして、もっとお話ししておけばよかった
もっと、行きたいところに行っておけばよかった。
もっと、一つ一つの機会を大切にしておけばよかった。

そう思わざるを得ません。

今までも、軽んじていたわけではありません。
でも、まさかこんな状況になるとは想像すらしていなかったので、一期一会の大切さ、これを身に染みて感じています。

いろいろな考え方がある。大事なのは、認め合うこと

僕は、僕なりの事情で、感染リスクを最小限に抑える対応をすることにしています。でも、これを他人に求めるのは、違うとも思っています。

それぞれ、置かれている事情は、全ての人で異なるでしょう。
人によって、感染に対する怖さの感覚も、違うでしょう。今も会食を続けられている方もいらっしゃると思います。もちろん僕はその人とは違うと思いますが、それは、否定するものでもないと思うんです。

確かに、もしかしたら感染者が増えてしまうことに繋がるかもしれません。でも、それはインフルエンザ感染でも、風邪でも同じこと。コロナは、今感染者数がクローズアップされているので(インフルエンザの感染者数や死亡者数は、ここまでメディアに出てくることはないですよね)、それと異なる考えを持つ人に対して否定的になってしまう。

自分の中で一番ストレスになるのは、自分と違う考え方の人を否定すること。そうすると、怒りや憎しみが出てきてしまう。そうした怒りや憎しみを持つことが、結果的に自分自身がストレスを感じることになるのではないでしょうか。

コロナ禍になってからずっと感じていることですが、ただでさえ人と人との繋がりがなくなっているこの時に、自分と異なる考えの人に怒りや憎しみをぶつけている人や、自分と考えが異なる人たちがいることを考えずに発言してしまう人が、多くなってきているのではないかと思うのです。

今一番大事なことは、お互いを認め合うことではないかと思うのです。

(もしかしたらこうして自分の考えをNoteに認めていることすら、認め合っていないことなのかもしれません)

人事の基本は、話をすること

実家の実母は、一時期ニュースを見て、コロナに恐怖を感じていました。それにより外出が億劫になり、一時期軽い鬱症状が出ていた時期がありました。

彼女が、感染するリスクを、僕は軽減できるわけではありません。
彼女が、感じている恐怖の事実を、違うということは嘘になります。

やれることは、話をすることだけでした。

コロナ禍で外出移動時間が激減したので、空いた時間を実家に行く頻度を増やし、会話を増やしました。している話は、他愛もない話です。
でも、それだけで、実母は「助かっている」と言ってくれました。

人事という仕事をしていて、これまで様々な組織の課題を解決してきたつもりです。でも、コロナ禍の中、できないことをたくさん感じました。そして、僕は、人に対して何ができるんだろう?これだけの世の中の大きなうねりの中で、何ができるんだろう。そう感じることもしばしばありました。

でも、この実母との会話の中で、僕は「解決すること」に向きすぎていたのではないかと感じました。人事という仕事の基本は、まず「話をすること」から始まります。経営者との対話も然り、社員との対話も然り。全てはここから始まる。これは、僕自身が人事になった時、何もできることがなかった時に、やっていたことです。でも、いつの間にか軽んじていたような気がします。

本質を大切にすること

コロナ禍を通して、恐らく世の中は変わっていくでしょう。

「リアルではなくオンライン化が進む」
「アナログは古い。DXが進む」

多くの課題が、一気に変わっていく可能性があります。
確かに、そうかもしれません。
コロナ禍は、これまでなんとか誤魔化し続けてきたことを顕在化させてしまいました。変えなければならないことは、しっかりと変えていかねばなりません。

アフターコロナに向けた変えるべきことは多く議論がされています。確かにその通りだと思うことも多いです。でも、まだ本質に至っていないものも多いのではと、そう感じています。

「人と人との触れ合い」
「コミュニケーションの大切さ」
「周囲を思いやる気持ち」

人と人との関わり合いの原点。
社会は変わっても、変わらないもの。
しっかりと残していかねばならないことも多くあると思います。その「変わらないもの」をこれからの社会で、アフターコロナの変わっていく世界で実現していくのか。この答えが、まだ見つけられていないような気がします。


世の中の劇的な流れは止められません。
まだ、自分の中で答えは出ていませんが、今年は、この「残すべき本質的なもの」。これからの変わっていく世の中で、どう実現していくのか、これを考え、作っていく役割を担いたい。そう考えています。


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髙橋実@マイクロ人事部長
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