足立実の『ひと言』第58回 「自民党を政権の座から下ろせ 総選挙」 1989年5月15日
自民党の腐敗はひどい。
派閥領袖が皆リクルートから賄賂をもらっているので次期総裁も出せない。自民党はまさに金権亡者・資本家の番犬集団で、政権担当の資格などない。
高級官僚もまた餌に群がる意地汚い連中で、資本家の私僕ではあっても国民の公僕ではないことをばくろした。
文化放送が、「外国では政府に対する不支持率が六五%以上になると革命かクーデターがおきる。だから日本の銀行は貸した金の回収、外務省は在留邦人の引きあげを始める」といっていた。
自民党も打倒されて当たり前だ。
そうならないのは、「連合」が五百万労働者に呼びかけてゼネストをふくむ大人民闘争をやらないこと、そして闘う労働運動の勢力が弱小なためである。私たちは全労協を結成し、全人民的闘争ができるように発展させなければならない。
野党も政党である以上、政権を取って 国民に公約した政策を実行することが使命のはずである。
私たちは野党に対し、政権をとって最低でも「中曽根証人喚問」「リクルート徹底糾明と厳罰」「消費税廃止」を実行することを要求しよう。自民党や官財界に痛撃を与えることはできるし、人民の利益になることだ。
私たち労働者が傍観していては状況は変わらない。自民党を徹底的に暴露し、総選挙で惨めな少数党に転落させ、政権から引きずり下ろすために、東部労組の団結を発揮して奮闘しよう。(実)
(画像は1989年7月の参院選。与野党逆転を果たす躍進を遂げた社会党の土井たか子委員長が「山が動いた」と名言を残した。これが社会党の「最後の徒花(あだばな)」の絶頂期で、その後凋落の一途をたどる)
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注釈
・「派閥領袖が皆リクルートから賄賂をもらっている」
いわゆるリクルート事件。
足立実の『ひと言』第57回「君が代・日の丸・リクルート」参照https://note.com/minoru732/n/nd13e15b1c99d
・連合
日本労働組合総連合会
1987年7月、日本の闘う労働運動を牽引してきた総評(日本労働組合総評議会)は第77回定期大会で自らの解体を含む右翼的労働戦線統一方針を決定し、1989年11月に解散した。
その流れと平行して、1987年、全民労協は全日本民間労働組合連合会(全民労連または民間連合)となり、さらに1989年11月、解散した総評や反共・反社会主義を掲げる同盟(全日本労働総同盟)がそこに合流して日本労働組合総連合会(連合)の結成大会を開き正式に発足した。
これに対して、連合の発足を「労働界の右翼的再編」「反共・労使協調路線」と批判する日本共産党系の「統一労組懇」は、全国労働組合総連合(全労連)を、総評左派系の一部は全国労働組合連絡協議会(全労協)を結成した。
・全労協
足立実の『ひと言』第54回「全労協を推進しよう」参照https://note.com/minoru732/n/nf6c2c7fcd267
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1989年は激動の年であった。
その年の1月に昭和天皇裕仁が死去し、時代は「昭和」から「平成」へと変わった。
4月1日より税率は3%で消費税が施行された。
リクルート事件で退陣に追い込まれた竹下登に変わり6月には宇野宗佑が首相の座についたが、首相に就任した3日後、『サンデー毎日』が神楽坂の芸妓の告発を掲載し、宇野の女性買春スキャンダルが表面化した。
このような情勢を受けて、同年7月の第15回参議院議員通常選挙は従来の3点セット(リクルート問題、消費税問題、牛肉・オレンジの輸入自由化問題)に加え宇野首相の女性問題が争点となり、さらにいわゆるマドンナブームがとどめを刺し、自民党は改選議席の69議席を大幅に下回る36議席しか獲得できず、特に一人区では3勝23敗と惨敗。参議院では結党以来初めての過半数割れとなった。
投票日翌日の7月24日、宇野は敗北の責任を取り退陣を表明。同年8月8日に海部俊樹が新総裁に選出された。宇野の総理在任期間はわずか69日、日本政治史上4番目の短命内閣に終わった。
この参院選後、法案が衆院を通過しても野党が多数の参院で否決される「ねじれ国会」の状態が続いた。
これは、まさに労働者人民の自民党政治に対する怒りが爆発したものであると考えられる。
本コラムはその参院選、さらには翌年の総選挙に向けて書かれたものである。
「自民党も打倒されて当たり前だ」「私たち労働者が傍観していては状況は変わらない」として、「自民党を政権から引きずり下ろすために組合の団結を発揮して奮闘しよう」と呼び掛けている。
しかし、総選挙(衆院選)はその年の翌年、1990年2月に再び消費税を争点に行われたが、自民党は275議席という過半数どころか安定多数を大きく上回る議席を獲得した。
日本人の熱しやすく冷めやすい気質が如実に表れた結果となった。
ちなみに1989年の6月には中国天安門事件が起き、11月にはベルリンの壁が崩壊するなど世界的にみても歴史が大きく動いた年であった。
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