見出し画像

足立実の『ひと言』第35回 「給与明細書を考える-87春闘」 1987年3月10日

 給料袋の給与明細書を見よう。
 まず就労、年休、欠勤日数、時間外労働時間数=ひと月に何百何十時間労働したかしるしてある。
 賃金額=この何倍も稼いだが、これ以外は資本家の金庫に入ってしまった。
 時間外労働賃金額=休養と家族や仲間との楽しい時間に当てるべき時間を働いて安い賃金を補った。家族手当や住宅手当な どの下に総支給額が書いてある。
 次に控除のほうを見よう。社会保険(健康保険料、厚生年金保険料、雇用保険料)と税金(所得税、住民税)、退職積立金などの合計が控除総額=たくさん引かれるが医療費一割自己負担、学費保育料値上げなど社会保障は低下し、軍事費の増額だけが目立っている。
 最後に差し引き支給額=これでひと月生活しなければならない。総支給額が増えて控除額が減れば生活が楽になる。時間外 労働で増やしたのでは健康が犠牲になるから、賃金を上げる以外にない。
 賃金は私たちが団結して企業内の交渉と闘争を通じて引き上げられるが、税金と社会保険は政府や国会が引き上げるから、職場で苦労してかちとった「支給額」を政府に「控除」され、更に売上税で物価を上げられたのではたまったものではない。
 だから私たちは職場闘争と政治闘争を結びつけて闘わなければ労働者の利益を守れないことを理解すべきだし、政治や選挙に積極的な態度をとる必要があると思う。
 みんな自分の給与明細書を見てみよう。考えてみよう。話合ってみよう。(実)

(画像は売上税粉砕デモ)

・・・・・・・・・・・・・・・・

注釈

・売上税
売り上げ額を課税標準として課される税。
当時の首相の中曽根康弘は1987年2月、現行の消費税と同様の大型間接税である売上税の導入を柱とした関連法案を国会提出した。
『ひと言』第34回 「中曽根康弘の罪状」参照https://note.com/minoru732/n/n13da47d1f325

・・・・・・・・・・・・・・・・

1986年7月の衆参ダブル選挙に中曽根自民党は圧勝した。これにより中曽根の総裁任期がさらに1年延長され、同政権は国鉄分割・民営化8法を成立させ労働者・人民にその凶暴な刃をむけてきた。

ところが、翌1987年春になると、様相は一変する。

1987年3月に行われた参院岩手補選で社会党が自民党に大差をつけて圧勝した。また4月に行われた統一地方選挙でも革新系が圧勝した。それとは対照的に道府県議選では自民党の不振が目立った。

その大きな原因は中曽根自民党が掲げた「売上税」導入路線である。社会党をはじめ公明、民社、社民連の野党各党は、一斉に売上税の導入反対で足並みを揃えた。

これにより売上税法案は事実上の廃案になった。

本コラムはそのまさに労働者・人民の中曽根政治に対する反撃の“狼煙(のろし)”として書かれている。

給料を資本家に搾取された上で、税金でも政府や国に吸い取られてはたまったものではない。だから「私たちは職場闘争と政治闘争を結びつけて闘わなければ労働者の利益を守れないことを理解すべきだし、政治や選挙に積極的な態度をとる必要があると思う」と組合員に「考えてみよう。話合ってみよう」と呼び掛けている。

本コラムでは「医療費一割自己負担」「軍事費の増額だけが目立っている」とあるが、現在は医療費の自己負担は三割となっておりまた、岸田政権は「軍事費GDP比2%」と「軍事費の増額」に躍起である。

情勢はコラム執筆時よりも悪化しているのではないだろうか?

ちなみにその後の「間接税」を巡る政治動向であるが・・・

1987年10月、中曽根は後継の自民党総裁に竹下登を指名し、11月に竹下内閣が発足した。

翌1988年には政界全体を揺るがす大きな事件、リクルート事件が発覚した。政界・官僚・財界・地方自治体幹部・マスコミ関係者を巻き込んだ大型贈収賄事件である。

竹下首相、中曽根前首相、宮澤蔵相らにも嫌疑がかかり、消費税(売上税から改称)導入法案の責任者だった宮澤氏は蔵相辞任に追い込まれた。

1989年に入ると有権者の「自民党離れ」は一段と加速し、竹下内閣の支持率は7%台に下落した。竹下は予算案、消費税導入法案の成立と引き換えに辞任する決意を固め、6月に首相の座を宇野宗佑に譲る。

ところが、その宇野の女性スキャンダルが週刊誌などで報道され、東京都議会議員選挙、参院選挙を控えて自民党は再び苦境に立つ。7月の都議選では社会党が議席を3倍に増やす一方、自民党は議席を大幅に減らした。社会党で女性候補の当選者は12人に及んだ。いわゆる「マドンナ旋風」である。

これをして当時の社会党党首の土井たか子氏は「山が動いた」と表現した。

さらに同年同月の第15回参院選では社会党が46議席(24議席増)、自民党が36議席(30議席減)と与野党逆転が実現し、非改選との合計で自民党は過半数割れをきたした。宇野は24日、辞任を表明、わずか69日間の短命内閣に終わった。

宇野首相の後任には自民党から海部俊樹が選ばれたが、この時の首班指名選挙では衆院で海部、参院では土井がそれぞれ一位となり、憲法第67条により海部首班となった。41年ぶりに両院で異なる指名であった。

このように、当時は「消費税反対」の民衆の圧倒的な声と社会党土井たか子委員長“ブーム”によりまさに「山が動いた」感があったのだが、1988年に竹下内閣で成立させた3%の消費税は1989年に導入され、その後も税率を上げ現在は10%となっている。

そして、土井たか子社会党の後身社民党はもはや存続の危機を迎えている。

2023年3月末日現在、統一地方選挙が間近に控えている。有権者はいかなる結論を出すのであろうか?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?