足立実の『ひと言』第55回「天皇制は百害あって一利なし」 1989年2月10日
組合のスローガンの一つに、「足を職場にすえ、胸に国を思い、目を世界に放て」というのがある。私たちは職場で生活と権利のために闘うことや、地域の仲間の支援はわかりやすいが、政治闘争や国際連帯の闘争は遠いことのように感じがちだ。
それは違う。これも労働者の利害にかかわる重大問題だということを忘れないためのスローガンである。
天皇制の問題もその一つである。私は「天皇は神様だ」と小学校で教えられた。「神の国が世界を統治する」というでたらめな論理でアジア侵略をごまかされ「天皇陛下のために」のひと言でみんな学徒動員に狩りだされ、軍隊に志願もした。天皇はこのとき国の統治者であり軍の最高司令官だった。
そして三百万の日本人が死に、国土は焼野原になった。もっと重大なことはアジア諸国を占領し、焼き尽くし根こそぎ掠奪し何千万人も虐殺したことである。昭和天皇はどうみても特級戦犯である。
戦後天皇は「人間」に変わったが、やはり「天皇」と呼ばれ、あいもかわらず皇居に住んだ。これは米占領軍司令官マッカーサーが、天皇を利用して国民を親米・保守政治につなぎとめ、人民が革命に進むことを阻止したのだといわれている。
その後天皇が元首まがいの行事をくり返したのも、危篤から大喪にいたる「天皇賛美」も、すべて天皇制の権威を高め、自民党支配に従わせるのが目的で、その役割をいま息子に受け継がせようとしている。
平成天皇は労働をしたこともなく社会経験もなく、国民の血税でぜいたくな生活をしただけで何の功績もないのに、なぜ奉らなければならないのか? 日本人民は「象徴」が必要なほど幼稚ではない。
私たちは去年の暮れ、本島等長崎市長が右翼の攻撃を受けていると聞いて、早速激励文を送った。本島氏は自民党員だが、彼が真実をいえば私たちは断固支持するし、勇気に敬意を表する。本島市長を支持するのか、それとも見殺しにするのか。百の議論より一つの実践である。
今年は天皇制について国民が関心をもつ状況がある。私たちは天皇制が労働者に百害あって一利もないという真実を訴えるべきだと思う。これは私の人生をかけた信念である。(実)
(画像は1990年1月、天皇の戦争責任に言及した本島等長崎市長が右翼に銃撃されたことを報じる読売新聞号外)
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注釈
・「『天皇は神様だ』と小学校で教えられた」
天皇=現人神=神格化された天皇。天皇は人間でなく神であるとする思想。明治維新以降、国家神道、教育勅語などで天皇の神性がいっそう強調され、敗戦まで続いた。
戦後の1946年昭和天皇みずから「人間宣言」を発して神格を否定した。
・「『神の国が世界を統治する』というでたらめな論理」
この論理は「大東亜共栄圏」「八紘一宇(はっこういちう)」というスローガンのもとに国民の中に浸透させされた。これらのスローガンはどちらも日中戦争、太平洋戦争でアジアへの侵略をすすめるために日本の天皇制国家が使ったスローガン。
「大東亜共栄圈」は、日本を盟主としてともに繁栄すべき東アジア(=東亜)の諸民族・諸国の意味。「八紘一宇は、全世界を天皇のもとに一つの家とするという意味で、「八紘」は四方と四隅つまり世界・天下のこと、「宇」は家のこと。日本は1931年、満州事変(柳条湖事件)により「満蒙は我国の生命線である」をスローガンに中国東北地方への侵略を開始。37年には盧溝橋事件を起こし、中国への全面的な侵略を始めた(日中戦争)。
1940年に発足した第二次近衛文麿内閣は、「基本国策要綱」で「皇国の国是は八紘一宇とする肇国(ちょうこく)の大精神に基き世界平和の確立を招来することを以て根本」とするとうたい、「皇道の大精神に則りまづ日満支をその一環とする大東亜共栄圈の確立をはかる」(松岡外相の談話)ことをめざした。
「満蒙」への侵略に始まった侵略戦争を、伝説上の初代天皇神武の発した「八紘一宇」という「肇国の大精神」にもとづいて「大東亜共栄圈」確立のために拡大していく、というのがこのスローガンであった。
このスローガンをかかげて日本は、1941年からは東南アジア諸国への侵略をすすめ(太平洋戦争)1945年に敗北、アジア太平洋諸国に犠牲者二千万人以上という史上最大の惨害をもたらした。
・学徒動員
日中戦争以後、国内の労働力不足を補うために学生・生徒を工場などで強制的に労働させたこと。
また、「学徒出陣」を学徒動員と表現する場合もある。
・「天皇はこのとき国の統治者であり軍の最高司令官だった」
大日本帝国憲法にはこうある。
第4条 天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ
第11条 天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス
・「息子」「平成天皇」
昭和天皇の息子、現上皇の明仁
・本島等長崎市長(1922年~2014年)1979年から1995年までの4期にわたり長崎県長崎市長を務めた。
昭和天皇の病態に関する報道が相次ぐ1988年12月7日に、市議会で昭和天皇の戦争責任に関して意見を求めた質問に対して市長3期目の本島市長は自身の従軍経験から考えて「戦後43年経って、あの戦争が何であったかという反省は十分にできたと思います・・・私が実際に軍隊生活を行い、軍隊教育に関係した面から天皇の戦争責任はあると私は思います」と答弁した。
これに対して自民党からは発言の撤回を求められ、また右翼からは「天誅」等と執拗な脅迫を受けていた。
その後、1990年1月18日に右翼が本島市長を背後から銃撃し重体となったが一命をとりとめた。
参考
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【長崎市長銃撃事件】https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E5%B4%8E%E5%B8%82%E9%95%B7%E9%8A%83%E6%92%83%E4%BA%8B%E4%BB%B6
このように天皇制とは凶悪な「暴力」によって維持されている。
足立実の『ひと言』第52回 「自粛の黒い陰謀 (天皇重態)」参照https://note.com/minoru732/n/nde81efb4f11c
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第52回に続き「天皇制」批判のコラムである。
この時昭和天皇は死亡し、息子の明仁が天皇として即位し「昭和」から「平成」へと代替わりしている。
筆者は1928年生まれで、17歳で敗戦を迎えるまで天皇が「現人神」であった「大日本帝国憲法」下で育っている。
そして天皇の名のもとに悲惨な戦争が繰り返されたことに対し、自身の経験から「昭和天皇は特級戦犯である」と断罪している。「特級戦犯」とは「A級」の上をいく戦犯であろう。
そしてこう結論づけている。「天皇制が労働者に百害あって一利もない」
筆者の人生に裏打ちされた信念からの重い言葉である。